悪くないな


   欲しいならいくらでも

 訓練後の少しの自由時間は案外持て余す。顔を合わせる面子は変わらないから特に用がない。必要事項の伝達には齟齬も遅延もないしそれぞれあてがわれた寝室では眠るだけだ。行動の時間割が似ているから顔を合わせる機会も多く、特別性は一切ない。馴染めないわけではないのに無駄にあてがわれるこの時間をいつも持て余す。ハーノインがすることはたいてい決まっていてアードライをクーフィアと一緒になってからかう。アードライはからかいがいがある。優秀なのにハーノインたちの行動を読めずに驚くから面白い。ハーノインはニヤニヤ口元を緩めてアードライの背中へ近づく。靴音はあえて殺す。綺麗に揃ったヘリオトロープの髪はさらとも揺れず気づきもしない。隣のエルエルフは気づいているが言わない。ハーノインの企みを酌むというより感情の積極性がないのだ。気づかないならそれでいいとあっさり退くタイプだ。
 アードライはしきりにエルエルフの方を向こうとしてはなにか言われて引き下がっている。おいおい大丈夫かよ。一拍置いてからハーノインは遠慮なくアードライに体当りした。首辺りへ腕を絡めてぶら下がろうとするとアードライは変な声を上げてもがいた。
「皇子様! オニーチャンともあそんでー」
「は?! 誰がお兄ちゃん」
「…年上か」
短くつぶやくだけなのにエルエルフの言葉の威力は絶大だ。なにか言いたげだがひとまず黙る。なんだつまらないな。さらさらと滑らかな髪に頬を寄せて指先は朱唇をつつく。アードライは泡を食っているがハーノインの襲来に驚いているだけで何をされるかまで気づいていない。エルエルフの眼差しが刺さるのを面白がってハーノインは余計にアードライへ絡んだ。髪キレーだな、手入れとかしてんの? 紫の艶を帯びる髪は細くハーノインの頬で流水のように滑る。どんな戦闘や防具をつけても品よく内側へ向く毛質はハーノインにはないものだ。てんでバラバラの方向へ野放図に伸びる自分の髪はちょっとした僻みの種だ。
 「ハーノイン、痛い。…なんなんだ」
頬を寄せたままあざとくエルエルフを見上げる。上目遣いにさえエルエルフは耐えた。だがその美貌から躍動や生気が失せている。美しいが無表情なその顔は心情を殺しているのだと思うと歪んだ愉悦がハーノインの中へ満ちた。なんだ、二人共まだまだ子供だな。ハーノインのほうが二人よりは年長だ。エルエルフもアードライもアイロンの当てられた襟の制服だ。折り目や布地は確りと伸びていて関節に沿うようなシワもない。留め具や釦も留められていて弛みやだらしなさは一切ない。そういう性質はよく似ている二人だと思う。光源によっては二人共銀髪に見えるところや双眸の色合いが紫系統なところまでよく似てる。アードライの生まれは高貴だというからエルエルフも案外そうなのかもしれない。血統として。ふんと嗤うとエルエルフの柳眉がひそめられた。
「え、えるえるふ?」
体勢としてハーノインが見えないアードライは状況把握が希薄だ。だいたいにしてアードライの視界にそもそもハーノインはいないからしかたがないと思う。それでもアードライを揶揄したりするのは無視しきれていないエルエルフを間接的に玩ぶためだ。二人とも面白いよなァ。
 アードライとエルエルフは互いに好き合っているし見ていれば判る。エルエルフの抑制が効き過ぎるから当人であるアードライに綺麗に伝わっていないだけだ。それでもくじけないアードライの方から近づこうとするから幼い愛くるしさのある二人だ。試しにアードライを便所へ閉じ込めたらエルエルフの方で探しに行った。程なくして二人共なんでもない顔で戻ってきた。なかなか通じあってる。
「なぁアードライ」
耳朶で囁く。それだけでアードライは性的に動揺する。若いな。
「キスしようか。色々試したほうが面白いぜ。経験を積むのは大事なことだろ?」
切れ上がった眦が驚きに見開かれている。白い肌が桃色を帯びる。はは、逆上せてるみたいだな。頤を捕らえて振り向かせようとする。その唇へ重ねようかという刹那。

 「ハーノ!」

鋭い叫びは明らかな叱責に燃えていた。椅子を蹴立てたエルエルフまで驚いてそちらを向く。跳ね上がるアードライの肩で舌を噛み切る寸前だった。危ないな。
「なにをしているハーノイン!」
ハーノインを愛称で呼ぶのは同い年で同期のイクスアインだけだ。イクスアインがハーノインをフルネームで呼びつけるときはたいてい叱責される時だ。性交渉に性別も誠意も求めないハーノインは時折こうしてイクスアインの怒りを買う。
「皇子サマに遊んでもらおうと思っただけだぜ」
「パートナーが居るところでか?」
アードライが激しく頷いたり首を振ったりするのは無視する。エルエルフは堪えきったのか口元さえ震えずに椅子を直す。
 「イクスアイン。ハーノインの突発的襲撃と言動による動揺は成功した。驚動が満足したのであれば退いてほしい」
あくまで退かないならオレの方にも考えがある。イクスアインは神経質そうに唇を震わせたがすぐに息を吐いた。
「もっともだ。ハーノ、オレにも考えがあるぞ」
平手も拳も辞さない強さに、ハーノインは肩をすくめるとアードライの喉や肩に絡めていた腕を解く。心なしか安堵したように弛むアードライの薔薇色の頬へ唇を寄せた。濡れた音を立てるそれにエルエルフが腰を浮かせアードライは驚愕と衝撃に唖然としている。襟首を掴もうとするイクスアインの手をかいくぐって体を離す。
「じゃあねぇ、皇子サマ」
気負いも躊躇も罪悪感もなく歩き出す後ろへイクスアインがついてくる。なんだか今日は執拗だな。
「ハーノ。戯れがすぎる」
「ごめーん」
反省が微塵もない謝罪にそれでもイクスアインは何も言わない。まだ、許容範囲内。心中でつまらなくつぶやくのもイクスアインは気づかない。ハーノインは人の限界を見るのが好きだ。生死や有り様に深い傷を負ったりした時に、その人の性質や感情が見えて鎧うものが何もなくなる。剥き出しのそれに触れた時にハーノインは薄く笑う。人はどうせ汚いんだ。斜に構えるのはハーノインの性質だ。そうやって俺は生きてきた。
 いつの間にかイクスアインが横へ並ぶ。すぐに二人の寝床だ。同じ養成機関の出身で年齢も同じとあって諍いや摩擦がなかろうとあてがわれた。たまたま二人の性質はうまくいっている。戦闘機に乗っていても近接戦闘や白兵戦を好むハーノインと後方支援や冷静な分析を得意とするイクスアインは互いに補いあう。イクスアインの髪は蒼い。目の覚めるその蒼を眺めながら耳へ引っかかる流れを見つめる。やわい毛質であるのかすぐに癖がつくようだ。眼鏡をかけているからあまり前髪を垂らさない。耳元へ長いのを引っ掛ける流れがそのまま髪をゆるく巻かせた。よく磨かれた眼鏡の奥の紺紫の双眸は怜悧だ。同僚たちの色合いがなかなかに稀有であることはハーノインを倦ませた。アードライとエルエルフの銀髪と淡紫の双眸。年少のクーフィアはその髪も瞳も燃える紅が鮮やかに幼い顔や肌へ映える。隣のイクスアインだって海空の深みを帯びる蒼い髪と底の知れない紺紫の入り組む色合いだ。ハーノインの髪はありふれた栗色で、こめかみのあたりを境に山吹に薄まる。双眸も碧色で殊更美しかったり珍しかったりしない。ちょっと相手を選べばすぐに作れる色合いだ。肌も白いと言うよりは健康的に焼けた色艶の部類で、なりもけして華奢ではない。たおやかな彼らを見るたびに疎外を感じないわけではない。戦闘の腕を見込まれて養成機関へ入ったり前線へ出撃しているというのにふとした折に首をもたげる。その傷は喉に刺さった小骨のようにいつまでも肉を裂く。
 イクスアインがハーノインの肩を掴んだ。桜色の爪先の整いは神経質なくらいだ。ハーノインも割れるような無粋はしないが常々繕うような真似はしない。どうしたン? それはこちらの台詞だ。眼鏡の煌めきが疎ましい。
「皇子様をからかったの怒ってンの?」
「違う」
「キス? あのくらいなんでもないぜ。摩耗しないからな、唇は」
軋る音を立てるイクスアインの口元にハーノインは弛んだ笑みを浮かべた。オレはお前にああいうことをしてほしくない。ただのスキンシップだろ。皇子様たちは年下なんだからさ、可愛がってやらないと。俺達は歳上なんだから。皮肉に満ちた台詞さえ咎めない。キス以上のことは? この際だから訊いておく。誰と。複数相手に行なっているのか? 今の小隊ではおとなしいほうだぜ。イクスアインが喉を鳴らして唸ると黙りこむ。
 「なんだよ、妬いてンの?」
下から覗き込むとイクスアインが顔を赤くする。最新の身体検査では身長同じだったな。眼鏡の位置を直すイクスアインにハーノインがニヤニヤ笑う。しばらく気難しげに唸っていたがきっと眼差しをつり上げて投げつけてくる。眼鏡も手伝って怜悧な容貌は鋭く冷徹なくらいだ。丈も目方も変わらないのにハーノインのほうがいささか野戦的だ。理論や情報を玩ぶ性質にそってイクスアインの容貌は屋内育ちがありありと判る。理屈をこねるイクスアインをよそにハーノインは寝室の施錠を解く。暗号コードは誰にでも解読可能であるから鍵などあってないようなものだ。同じタイプの寝室をあてがわれているアードライたちなどさらに簡単に解くだろう。それはハーノインたちにも適用されるのだが。同僚の寝室をあばく趣味はないから放っておいている。
 圧で自動的に閉じる扉の隙間にハーノインとイクスアインは体を滑り込ませた。すぐさま洋服箪笥へ向かうハーノインをイクスアインは寝台に腰を下ろして気配で見ていた。寝室を共有するものとして着替えなどはジロジロ眺めない。干渉しない場所を設けるのがうまくゆく秘訣だ。ハーノインは襟を弛めて留め具や釦を外していく。階級の縫い取りがある上着を脱いでしまうとただの少年だ。多少戦闘力があるに過ぎない。柔軟で強靭な豹のごときハーノインの体をイクスアインは横目で鑑賞する。額はあらわにしてもうなじは見せない。栗色の髪は強固にその皮膚を隠す。引き締まって腰骨の尖りもあらわな腰を抱擁しているのだと思うだけでイクスアインの白磁の頬が薄紅に火照る。
「なぁさっきの質問だけどさ」
「なんだ」
「答えを聞いてないぜ」
 ハーノインが無造作にイクスアインの方を向く。イクスアインは眼鏡の煌めきを幕にしてその顔を隠した。いちいち指で位置をずらす眼鏡は明らかに持て余し気味だ。直すということよりそういう行動をすることに意味があるのだ。
「俺が皇子サマにキスしたら妬けンの? エルエルフだったら?」
「二人の間に差はない」
「じゃあキスしたこと怒ってンの」
「したのか」
「してない。寸止めだよ」
多分してたらエルエルフに攻撃されていたな、とは心中でのみ思う。あの二人は案外純粋無垢だから関係にも清浄さを求めているだろう。そういう観点から見るとハーノインは蓮っ葉だ。イクスアインが浮かしかけた腰を下ろすのを見てこいつもか、と思う。なんでそんなん気にするんだろ。
 「ならいい。お前はオレの恋人だからそういう真似をされたらひどく困る」
さらりと耳朶を流れた台詞にハーノインが待ったをかけた。
「待て、今なんてった?」
「ならいい」
「その後だよ」

「オレの恋人」

煮沸した感情と感覚にハーノインの顔はおろか耳や首まで真っ赤に火照った。驚きに見開く碧色の双眸と震えて引き結ぶ口元が不慣れを窺わせる。紅を差したと思うほどの紅い皮膚にイクスアインの方が目を見張る。山吹が映えて綺麗だ。黄色系統は映えるからいいな。ぽろりとこぼした言葉にさえハーノインは慌てふためいた。体の方向があらぬ方へ定められつつある。
 「ま、待て。ちょっと待って。俺が?」
「好きだ」
だからお前にはオレだけを見ていて欲しいんだ。アードライたちが優秀であることは確かだが、付き合いの年季を省みるに、オレはお前に軽視されたくない。俯いて遠慮がちに話すイクスアインにハーノインのほうが冷静さを失くした。動揺に火照る体を持て余し、行き場をなくした熱は涙になってひたひたと目縁を湿らせた。絶句して目をうるませるハーノインにイクスアインが目に見えて落胆した。すまん。嫌だったか。
「…別に。嫌じゃない、けど」
「けど?」
燃えるように赤らむ頬を手で覆う。耳や首が千切れそうに熱いことをあえて無視した。
「…初めてだ、から…驚いた…」
イクスアインのくせに。複数のピアスが貫通している左耳をつねられてハーノインは本当に涙目で悲鳴を上げた。痛い、痛いって! お前が馬鹿だからお仕置きしてる。
 びりびりと振動するような痛みに潤む目を瞬かせる。手で覆って逃げても痛みの余韻が退かない。
「オレはお前が好きだと言ってる。お前はオレの恋人だ!」
「こいびと?」

愛してると言ってる!

こらえきれなかった。火照って紅い頬の上を大粒の涙が滑り落ちた。雲母の煌めきで部屋の乏しい照明を反射する。潤んで揺らぐ碧色の蠱惑にイクスアインは懸命に抱擁したい衝動を堪えていた。
「恋人?」
「そうだ」
何度も言わせるな、馬鹿者め。恥じるようなイクスアインにハーノインがへらりと笑う。濡れた頬を強く拭われる。痛いよ。泣いているから。
「俺さぁ、イクスが初めてじゃないよ」
「だから、お前の経歴など知らん。アードライたちのような純真無垢を求めているわけではない。オレだって、お前と同じ年なんだぞ…」
濡れた頬を寄せて唇が重なる。二人の体が傾いだ。床の上で一つになる。のそりと蠢く裸身が部屋の明かりを落とした。施錠はされている。


《了》

そこはかとないアドエル臭            2013年8月12日UP

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