※筆者ゲーム未プレイです、ご注意、ご容赦ください


 涙で洗い流して


   手を引いて
 
 ざわざわとしたそれが枝葉の音なのか喧騒なのかよく判らない。街についてある程度のめどがつくなりアルヴィンは自主行動を申し出た。情報のやり取りがあったからジュード達を引き連れていくわけにも行かなかったし一人になりたかった。あの一行のぬくもりは危険だ。微温湯はずっと浸かっていたいし相手がそれを拒まないのだからズルズルと長引く。彼らと同じようにアルヴィンが真っ当になれば話はもっと簡単だ。だが、とアルヴィンの同調はいつもそこで急停止する。もうおぼろげな記憶にしかいない両親や愛憎渦巻く複雑な感情を呼び起こされる男や、アルヴィンが身をおく位置はいつも急き立てる。そんな良いこと、すぐに終わってしまうと。楽しかった生活の激変を経験したものとしてその悪魔のささやきは明確に現実味のあるものだ。
 高台に見るものは何もなく人は来ない。風光明媚というには過宣伝だし人が踏み入ったことのないような樹海でもない。家に帰れなくなった子供や息の詰まりそうな青年が逃げ場として愛用しているらしく踏み固められた道があった。アルヴィンは導かれるようにその獣道をたどってこの高台へたどり着いた。幼い頃は高いところなどなんとも思わなかったのに今は不意に恐怖を感じる時がある。歩いているときに不意に地面が崩れるかもしれないと思うともう足がすくむ。だがそれをおして無理矢理に歩くうちになんとも思わなくなったりするのを幾度も繰り返した。先導者が必要な年齢はとうに過ぎた。先導者となるべき身近な大人は皆立ち去った。あるものは命さえ落としてあるものは背中を押して突き落とそうとする。だからアルヴィンはすべての手を振り払って生きてきた。撫でてもらわない代わりに殴られない。笑顔と警戒を絶やさずに都合よく振る舞っては尻尾を巻いて逃げ出す。裏切りや離反に対してもなんとも思わない。全てに人は等しく他人だ。アルヴィンの位置より低い麓には露店が並んで飲物や軽食を売っている。大蛇のうねりで流れる人の流れは数多の数を有しながらその中の誰一人としてつながりはない。両親を亡くしたあの日に、アルヴィンは味方をすべて失った。――頼るべき人はすでに亡い。後は自分の力で生きていく。そう決めた。
 眇められた紅褐色の濁った煌めきさえ知らないアルヴィンはその目を人ごみへ投げる。ジュードも同じだ。ジュードはしきりにアルヴィンの後をついてきたがるのを撒いた。アルヴィンにはもうそういう好意的な執着がなくて、だから面倒だと思ったのだ。どうしても拭えない違和感と躊躇と羨望でアルヴィンはジュードを見る。彼はまだ若くて幼くて純真で、何も知らない。無理矢理開かれる脚や組み敷かれる蔑視や唾棄される屈辱や。じゃり、と靴底が土を噛む。ぱらぱらと落下していく砂礫を追うようにアルヴィンの体が傾いだ。こうして落下の魅力にひきつけられる瞬間があってそれはひどく自壊衝動であると知っている。身を任せたく、なる。
「馬鹿が」
舌打ちと同時の罵りに目を向ける前に襟首を引っ張られた。そのままぐんと引っ張られて尻餅をついた。文句の一つでも言ってやると顔を仰ぎ向けると地味な割に存在感がある男だった。長い黒髪を無造作に一つにくくっている。褐色に灼けた肌。宝石のきらめきの紅い瞳。淵のある眼鏡をかけているが明らかに馴染んでいない。補強具を使用するものはたいていそれが肌や髪の延長であるかのように馴染むものだが、目の前の男にはそれがない。髪型といい眼鏡といいぞんざいな変装だ。
「………がい、あす」
「遅い」
座り込むアルヴィンは決まり悪げに目線を逸らした。そのままどこかへ行ってくれたらいいと思うのにガイアスはアルヴィンの隣へどかっと腰を下ろした。
 アルヴィンが落ち着かなげにしていることさえ言及しない。そもそもがイアスは位置としては高位なので相手の反応に準じていては務まらないのかもしれない。立ち去ろうと立ち上がりかけるアルヴィンの膝を狙って砕くガイアスは強引にアルヴィンを座らせた。
「なに?!」
「景気の悪い顔をするな。見苦しい」
情報屋が聞いて呆れる、と言われてぐぅっと黙る。気分が落ち込んでいたのは事実だから余計に言い返せない。
「売り込みの時の気合はどうした。今のお前の顔では幼子にさえ負けるな」
ぶすくれるアルヴィンはガイアスから目線を外した。あぐらをかいた膝の上に肘をついて頬杖をつく。初対面でやり込められたのが効いている。アルヴィンはガイアスの前だとどうも調子が狂う。ガイアスが年長だからなのかそれともアルヴィンが不安定な時を狙って現れるガイアスが功者だからなのかは判らない。諜報活動に籍をおく身としてガイアスとは何度も接触しているしやり取りもしているのに、こうして私的な空間にガイアスが入り込んだ途端に調子は狂う。口を尖らせて唸るのをよそにガイアスは携えていた紙袋を開けてがさがさやっている。
 「ほら」
「はい」
反射的に受け取ってからそれが持ち帰り用に用意された飲料だった。カップに蓋と飲み口がついている。しかも温かい。
「腸詰肉と白身魚のどちらがいい」
話の見えないアルヴィンが首を傾げながら、腸詰肉と答えるとガイアスはあっさり紙包みを差し出す。カップを持ったまま口を使って包みを開けるとパテや酢漬けの野菜を挟んだパンだ。
「そちらは腸詰肉のはずだ」
ガイアスは短く言ってから包みを開けてパンにかぶりついている。
「おたくが二つ食うんじゃないの」
「上を見たらお前がいたから買ってきた。馬鹿と何とかは高いところが好きだというと聞いたから」
「それごまかす位置違うぞ」
こめかみをひきつらせるアルヴィンを横目に見ながらガイアスはそうなのかとあっさりしたものだ。
「食せ。一人で食ってもつまらん」
しばらく唸っていたがアルヴィンは素直に従った。少し腹が減っていた。はくん、とかぶりつくパンも肉も野菜も上等だ。露店のものでも上等には違いなくアルヴィンはしばらく夢中で食べた。旅中の食事に質を求めてはいけない。だから街へたどり着くとまず腹を満たすものも多い。
 しばらくはぐはぐと食べるアルヴィンを眺めていたガイアスがふっと笑った。
「そうしていれば可愛げもある」
「んぁ」
パンを咥えたままで顔を向けるアルヴィンからガイアスはぷいと顔をそらす。ごくんと嚥下したアルヴィンがガイアスを見つめる。ガイアスは統治者でありあらゆる意味で恵まれていると思うのにこの男は何故かアルヴィンを気にする。一族の後継者としてさえ役に立てなかった、アルヴィンを。
「…――な、んで」
虚ろな呟きにガイアスは紅い目線だけを投げて前を向く。
「なんで俺に構うんだ」
口にした瞬間にガイアスは明確な侮蔑を投げた。何故そんなことを問うのかと言わんばかりのそれに怯んだアルヴィンが目線を逸らしてパンで口をふさぐ。美味いはずなのに味が判らない。もぐもぐやってから飲み込む。その頃合いをはかったようにガイアスはきっぱりと言った。
「お前に会いたいと思うからお前を探す」
ぽかんとしたアルヴィンが取り落としそうになるパンをガイアスの手が受け止めた。ちゃんと持てと母親のように叱りつけてアルヴィンの手に戻す。甘く痛い疼痛のようなそれにアルヴィンが目を眇めて睨みつけた。拙い睥睨にさえガイアスは本気で睨み返す。殺気さえこもったようなそれにアルヴィンが怯んだ。
「では訊いてやる。お前は先刻、何を考えていた。何を考えて体を傾がせていた」
下に人の流れがあって無事ですまぬことくらい子供でも判る。ガイアスの指摘はいちいちそのとおりで反抗の言葉さえない。
「そもそも高いところから落ちたら死ねるなどという浅慮は子供しかしないと思っていたがな」
アルヴィンは持たされたかじりかけのパンをガイアスの顔面にたたきつけた。腸詰肉や酢漬けの野菜が飛散する。ガイアスは静かに髪や頬へ張り付いたそれらを一つ一つはがしていく。
「――おたくに何が、判る」
「判らん。だから訊いてる」
眼鏡を外したガイアスの美貌は息を呑むほどだ。装飾を取り払い、無造作にくくっているだけの黒髪は艶めくようにうねっている。その奥から覗く紅い瞳は邪眼のように動きを制限する。アルヴィンの指先が震えた。ガイアスは何もかも判っていてアルヴィンに問うているのかも知れなかった。答えを知っているものの選別の冷淡さをアルヴィンは嫌というほど味わってきた。一人前として認めてもらおうと勉学も戦闘術も学んだ。待っていたのは面倒なだけの血筋と奪われた玉座だった。
 「………うる、さい」
反射だった。銃に手が伸びてグリップを握った瞬間、肘から固定されてホルダーから抜くことさえできない。同時に唇を奪われてその勢いのまま押し倒される。アルヴィンが銃から手を離しても拘束は緩められない。ぎりぎりとひねるように力が加えられてしびれるように痛んだ。その間にも唇を割った舌先は歯列をなぞって舌を吸い上げる。
「ふ……ッ、ん…!」
唇が離れた瞬間にガイアスの食べかけのパンが突っ込まれて悲鳴さえ出なかった。こもった音がしてアルヴィンはすぐに息を詰まらせるのにガイアスはグイグイ押し込んでくる。
「う゛…っぅ゛…ー…」
空いたガイアスの手がしゅるんとスカーフを解いて下のシャツの襟さえ開ける。ひたりと触れてくる感触にアルヴィンが戦いた。苦しげに涙の浮かんだ目が怯えてガイアスを見る。次第に体が恐怖に震えた。貞操の危機さえ売り物にしてきたのにガイアスの見せる凶暴性にはひどく驚いて恐れた。ぶるりと震えるのを見てガイアスがふっと笑う。
「聞き分けの良い子は好きだ」
ガイアスはあっさりと離れて行く。同時に突っ込んだパンを引きぬいて知らぬ顔で食べた。ガイアスがパンを食べきるまでアルヴィンは余韻と驚愕に震える体をどうにも出来なかった。
 「…食べた」
「もっと深いところでつながっているのだから問題はない」
しれっと言い放つガイアスにアルヴィンが真っ赤になった。行儀悪く指先を舐めるガイアスは少し子供っぽくて可愛いなどと似合わぬ形容まで思った。
「食物は無駄にしてはいけない」
「なんでそういうとこは庶民的なんだあんた」
ガイアスは意味ありげに笑んでからさぁなと言った。そのまま飲物を飲んでいる。一部を跳ね上げればそこが飲み口になっている蓋だ。人ごみで持ち歩くことを前提にしているから強固だ。ぶつぶつ言いながらアルヴィンはそばに倒れずに残っていた飲み物をとった。まだぬくい。蓋を跳ねあげてすするのを横目にガイアスの口が開いた。
 「過去からは逃げられない」
びくりとアルヴィンが震えた。ガイアスは見向きもしない。
「過去失くしていまのお前は成り立たない」
「また顔面に叩きつけられたいのかよ」
「少なくともそれが俺の知る真実だ。事実であるかどうかは知らんし興味もない」
かたかたとアルヴィンの手が震えた。なくしたものは両親だけではない。生活も位置も劇的に変わった。手のひらを返す周りや自分をとことんまで利用する男や。気高いだけの血統は余分な荷物だった。実力も支配力もなくただ無駄に。

だったらいらなかったのに!

ぐしゃりと熱い液体が溢れてアルヴィンは飲み物のカップを壊したことに気づいた。火傷する熱さではないが念の為にひらひらと振る。衣服と癒着していると皮膚が剥げるので脱がないほうがいいとジュードが言っていた。早急に冷やすこと、冷ますこと。ジュードの訳知り顔が思い出された。医学生だというから根拠があるのだろうがどうもあの子供に諭されるというのが慣れない。
 ガイアスの紅い目は遠くを見ていた。懐かしむように忘却を愛でる旅人のそれにアルヴィンが惚けた。長い睫毛が黒い。しかも密だ。重たげに瞬くたびに黒い幕が下りる。見た目も地位も申し分ないガイアスが何に倦むのか判らないがそれはひどく遠いことのようにアルヴィンには思えた。上にいる奴に下にいる奴の気持ちは判らない。斜に構えたそれさえ見透かすようにガイアスは笑った。
「俺だってはじめから偉かったわけではない」
「…どう、いう」
そこでアルヴィンの言葉は飲み込まれた。ガイアスの唇が重なっていた。ふわりとやわらかくて温かい。
蕩けそうになるのを知ったしてアルヴィンは引き剥がそうとする。それさえ甘く立てる爪だと言いたげにガイアスは深くついばむ。
「解るわけではない。だが同情はできるし辛いだろうと同調もできる。お前はどちらも、好まぬだろうが」
見透かされている。うぐぅと黙るアルヴィンの唇にガイアスは優しく唇を載せる。
「お前はお前を誇れ。お前の出自も経緯さえも、今のお前を貶める原因にはならん。今のお前がお前を、誇れ」

お前は間違ってなどいない

ひゅうっと息を呑んで集束する紅褐色を見つめたまま紅い瞳はそらされない。口の端から垂れる唾液さえも舐め拭う。そのまま唇を吸われた。ぽわっとする脳裏にガイアスの顔だけが映る。お前がお前を誇れ。甘美で優しくて嬉しかった。お前はそれで、いいのだと。
 今の職業についてからひどく罵られてばかりだ。雑巾臭い水を頭からかぶることもある。それでも情報や報酬のために何度も通う。浴びせられる水が清水であればマシであるというところにまで落ちた。残飯さえ投げつけられる。底辺を這い、それでも依頼主が望むものを手に入れて報酬をもらう。体を売る真似事さえする。寝台まで引き込んで情報を引き出しては潰して逃げる。知らぬ街で知らぬ輩に追われることも少なくない。そんなアルヴィンをよく思わぬ輩がいるのも知っていた。知ってやっている。居場所さえない血統のアルヴィンを捨て切れない男がいて、アルヴィンはそれをはねつけられずにいる。ひどい目に遭わされたと責め立てる理由を温存しながらそうできない。それは嘔吐や号泣のように少なからずアルヴィンの側にも影響があるからだ。アルヴィンは今の自分が壊れてしまうのが怖い。名誉ではなく位置が。仲間ではなく噂が。違うと思うのにアルヴィンはそれを直せない。
「馬鹿、野郎」
「そうだな」
うつむくアルヴィンをガイアスが包み込む。しっかりとした腕の温もりがアルヴィンの強張りを融かしていく。緊張した筋肉のほどけていく感触。張り詰めた筋の弛み。アルヴィンの体はありとあらゆる弛緩に見舞われた。どっとあふれるのは涙だけではない。それでもガイアスは厭うこともなくアルヴィンを抱きしめたままだ。
 「大丈夫だ。…アルヴィン」
ガイアスの指先が優しく頭をなでる。髪を梳く。
「アルヴィン」
アルヴィンは何度も何度も、泣いた。涙はおろか洟さえ垂らすのをガイアスは嫌がらない。衣服で拭っては大丈夫だという。
「俺はお前が好きだからな」
決まり文句に反論さえできない。それが嬉しかった。泣きながらアルヴィンは笑った。


《了》

ガイアスさんは天然で男前(決定事項?)          2012年11月19日UP

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