同じだけど違う
違うけど同じ
紅い瞳がお揃いで
豪奢な装飾はその組織の予算の潤沢さと相場の高価さを暗示す。一件の単価が高いのだ。その分危険でもあり、立場によってはその体自体を武器としてささげる場合も少なくない。ヴィンセントの実兄であるギルバートなどがいい例だ。ギルバートは所属するナイトレイ家の魔獣を受け継いでその破壊力や影響力を見込まれてパンドラと言う組織に所属している。パンドラに所属する以上、何らかの魔の獣を従えているのは珍しくもない。ヴィンセント自身も『眠り鼠』をその身に宿しているのだから。無駄に広い建物だよと悪態を心中でついていると目の前にギルバートが現れた。
「兄さん」
「ヴィンス?」
背の高いギルバートの後ろからひょこりと顔がのぞく。薄紫の淡色の髪は彼の片眼を覆い隠すように長い。パンドラの構成員でありそれなりの実力者でありながら制服さえ着用しない。ブレイク、だ。ヴィンセントの口の端が吊りあがる。彼のフルネームは覚えていない。それでも自身が嫌ってきた忌み子の持つ紅い瞳。マガツミノコ。幼いころ、そう言われては殴られたり買われたり売られたりするのを繰り返してきた。それでも耐えらえたのは傍にギルバートと言う実兄がいてくれたからだと判っている。
それなのにこのブレイクは、禍罪のまの字も知らなかったのだ。綺麗な服を着て綺麗そうな体つきと無垢な顔立ち。眦が切れ上がるギルバートとは反対に笑んだ時のように下がり気味だ。ヴィンセントに気付いたブレイクの反応は速い。すぐさま顔が歪む。それもものすごく嫌そうに。それは純粋な嫌悪だった。嫉妬心や憎悪やそう言った自身と比べてのものではなく、ヴィンセント単体にのみ対しての悪感情だ。それはひどく甘美でヴィンセントは震えた。『禍罪の子』として嫌われているのではない。素性の知れない浮浪児だったから嫌われているのではない。ヴィンセントだから嫌われているのだ。それはまるでブレイクと言う存在がヴィンセントと言う存在を支えているに等しかった。だからヴィンセントはブレイクがたぶん、好きだ。ギルバート以外で初めてなのだ。ヴィンセント「だから」嫌うという反応をしてくれたブレイクが。それまでの嫌悪は主に禍罪に対してだけであったからヴィンセントの中でブレイクの存在は光り輝く鉱石のように歪で武骨に輝いた。
「…ブレイク。ヴィンスに会うたびそう言う顔をするのは止めろ」
気付いたギルバートがたしなめてもブレイクはまったく動じない。ギルバートから聞いたところによるとパンドラや魔獣の受け継ぎなど全てブレイクの入れ知恵であったというから、部下とも言える人間の忠告などブレイクが聞きいれるわけもない。案の定ギルバートの戒めの言葉は霧散した。
「なんでドブネズミがここにいるンでスカ」
挨拶さえない。
「帽子屋さんこそひどいなぁ…僕はこれでも帽子屋さんが大好きなのに」
「生憎ですガ、ワタシは動物は苦手でしてネ」
生物は全部ギルバート君が担当でスヨ。きっぱりと言い切るブレイクをギルバートがどついた。どうもこのブレイク、ギルバートを揶揄して遊ぶ癖があるらしいのだ。ヴィンセントはギルバート当人から、ああいった冗談だか何だかわからないものはどうするべきなんだろうか、と相談を受けたこともある。
「ちょうどよかったヴィンス、ブレイクを第四会議室まで連れて行ってくれ。レイムから絶対に行けと言われているのに行こうとしないから俺が連れていこうかと…隙あらば逃げるしな!」
話の途中で背を向けたブレイクの襟首をギルバートは素早く掴んで捕獲した。
「すまないが、俺はちょっと別の呼び出しが入ってしまって。…迷惑、か?」
「兄さんにそんな顔されたら断れないよ…帽子屋さんを連れていけばいいんだね?」
常に浮かべている笑みを深めてくすくす笑うとギルバートは安堵したようにブレイクをヴィンセントに押しつけた。
「よろしく頼む! この埋め合わせは必ずするから」
呼び出しは本当であったようでギルバートはすぐさま踵を返して駆けだしていった。ブレイクの襟首を猫を掴むように持つヴィンセントとつり上げられた格好のブレイクが残される。ヴィンセントの笑みが深まるがブレイクの顔はますますしぶくなっていく。
「いけない子だなァ、帽子屋さんは。お仕事さぼっちゃ、だめでしょ…?」
掴んだ頤は放さない。そのまま唇を重ねた。がりっと音がして鉄錆の味が口内に広がるのと頤を伝う体液に気付くのが同時だった。触れてみれば皮膚が裂けている。噛みちぎられたのだ。
「あァ、帽子屋さん、もしかしてキスマークとかつけてほしかったの? さすがの僕も口紅まではもってないからね…この血を紅にしてもう一度キスしてほしいんでしょ?」
「シになサイ、勘違い発情期野郎」
ヴィンセントは手袋を外した指先で溢れてくる血を唇に塗りたくると抵抗さえも抑えこんでブレイクの唇を吸った。理不尽な暴力にさらされた幼少期を持つヴィンセントは人体の拘束の仕方くらい知っている。要所を抑えてしまえば体格など案外問題じゃないのだ。熱い吐息とともに離れた唇は二人ともがまだらに紅かった。噛まれたところはもうすでにふさがって出血も止まっている。それでも舐めればぴりりと沁みて痛い。
「せっかく仕事場へ連れて行ってあげるのに、帽子屋さんはこんなにひどいことするの…お仕置きしてあげなきゃいけないかな…?」
この流れでお仕置きが何を指すか悟れぬほどブレイクは馬鹿ではない。
ブレイクは心底ヴィンセントが嫌いだ。常に絶やさない笑み。甘ったるい整った顔。豊かに肩口へ流す金髪と、金と紅のオッドアイ。常々微笑んでいるから兄のギルバートよりはとっつきやすく思われているがま逆である。ギルバートの方が余程扱いやすいし素直だ。エコーと言う名の少女を直属の部下に持ち、パンドラ内での地位も低くないし実力もある。実戦経験は聞いていないが魔獣を呼び出しての戦闘や拳銃が主な戦闘である。体術などは必要最低限でいいと言わんばかりにヴィンセントは線は細い。長い髪が男性性を曖昧にし、穏やかな物腰と緩やかなしゃべり口。社交界ではそれなりに人気があり女性陣の的ともなっていると聞く。ブレイクは社交ダンスや華やかな舞台が嫌いでそもそもあまり顔を出さない。自分は闇や血や肉や内臓に塗れていていいと思っている。だからその光と闇の両方を同時に所有するヴィンセントが気色悪くて仕方ない。
「冗談でショウ。会議室で訊く任務が肉体労働だったら責任とってくれるンですカ?」
紅玉のようにぎらつきを宿し燐光を放つようにブレイクの隻眼がヴィンセントを睨めつける。ヴィセントはうっとりとしたように、頬さえ染めて歌うように言った。
「僕には関係ないことだから考える必要なんかないんだよ…さぁどうしようか、帽子屋さん。それとも名前で呼んであげようか」
ヴィンセントの白皙の美貌はすでに桃色へ染まっている。冗談ではない、とブレイクは思う。同じ兄弟でありながらブレイクの二人に対する評価は目逆だ。もしギルバートかヴィンセントと交歓を持てと言われれば間違いなくギルバートを選ぶだろう。しかも己が攻め手で。ブレイクにはそもそも受け身になろうという気がないのだ。それをヴィンセントが強引に捻じ曲げて事態を持っていこうとしているにすぎない。
ヴィンセントはうすら笑いを浮かべていた。ブレイクが戦慄する。ヴィンセントの中で何かが切り替わっていた。ギルバートと言う兄の前でかぶっていた仮面を、脱いだ。猫の目のように瞳孔が収縮し燐光を放つ。口の端が吊りあがっているのは状態であって意識してそうしているわけではないのだ。
「あァ、この顔はもとからなんだよ…殴られたり蹴られたりして泣くとさ、相手が調子に乗るからねぇ、笑ってるんだ。そうすれば手応えがねェ奴、とか言って解放してもらえるし、ギルにも面倒を押しつけなくて済むんだ。ギルは僕の代わりにいっぱい殴られたり蹴られたりいろいろされたからねェ。
ヴィンセントの脳裏を過去がよぎる。拾われる前。路上で二人で襤褸切れをかぶって暖を取り、食べ物を盗み、風呂さえ入れずに共同の噴水で人目をしのぐように体を拭う。ブレイクにはそんな底辺は微塵も感じられない。だからヴィンセントがブレイクを紹介されて初めて抱いたのは嫌悪や嫉妬だった。
同じ紅い眼なのに
どうして僕たちだけこんなに苦労するんだよ!
それがいつの間にか征服欲へ変わり歪な愛情へと変化した。そしてブレイクはその過程における感情の移ろいをどこか斜に捉えている。ヴィンセントは感じたことを隠そうとはしない。彼の行動原理は好悪に偏っているかもしれないとブレイクは思う。ヴィンセント自身もそう自覚している節がある。
「あれ? 逃げなくていいの? 僕は追いかけっこは得意なんだけどなぁ…」
ぞっとするほど美しい笑みだった。性質となりが連動しないギルバートを兄に持つ所為かヴィンセントにもそのきらいがある。ヴィンセントは時に驚くほどぞっとするようなことや顔を見せながらそれでもどこか美しさの範疇に入っているのだ。
「どォしたの?」
くすくすくすくすくす。ヴィンセントは彼自身がその身に宿す魔獣より余程悪魔的だ。三日月のように細くつりあがった口角。眇められた瞳。金色と紅色がめらりと燃えるようにブレイクを視ている。
「どこかの鼠が襟首掴んで放さないから逃げられないンですヨー。往来で脱衣するような趣味はありマセんからネ」
ふんと空っとぼけたようにブレイクはそっぽを向く。視線に耐えられなかったというのが正しいかもしれなかった。
「ひどいなぁ。僕は兄さんからあなたが逃げないようにって言われているから持ってるんだよ? 逃げだす帽子屋さんの方が悪いんじゃない…」
ブレイクの紅い隻眼がまともにヴィンセントのオッドアイを射抜いた。強い力だ、とヴィンセントは思った。何処から湧くのか判らない。それなのにブレイクのこの紅い瞳は禍罪を取り込むように暗く淫靡で妖艶で貪欲で無垢だった。こんな目が出来たら僕はもう少しギルに楽をさせてやれたかもしれない。ヴィンセントの奥底で何かが灼き切れた。パンっとブレイクの頬を打つ。本気の殺意などなくただ眼ざわりで遮りたいという衝動の身であったからブレイクの白い頬が紅く腫れるだけで済んだ。それでもブレイクが吐いた唾は紅かった。
「――そんな目で僕を見るな!」
その一言だった。
ブレイクが笑んだ。
それはまるで世界の全てを愛してくれる聖母のように清らかに
世界の全ての男と寝た娼婦のうように淫らで艶めかしく
世界の全ての暴力世界に生きたかのような絶望と
それでも活路を見出した強さとを
秘めた、紅い、隻眼。
「ナニを考えてるかは知りませンがネェ」
ブレイクはカタカタカタと笑った。血の紅で彩られた唇は舐められて艶めいた。熟れた果実のようなそれにヴィンセントは刹那、目を奪われる。美しいと思った。欲しいと思った。ヴィンセントは初めてかきむしられるような身もだえたい衝動にかられた。ブレイクのこの瞳の強さが、あァ愛する実兄にはないもの。恵まれた底辺を這ったもの。貴族階級の没落と言った、いいとこの底辺を這った強さがブレイクの隻眼にはあった。髪を伸ばしているブレイクの片眼は完全に前髪に覆われている。その奥の眼球に触れたい。ヴィンセントがふらふらと手を伸ばすのをブレイクが払い落した。
「身の程が過ぎると言われマスヨ、ヴィンセント様」
秘められた瞳。何色をしているのだろう。
「さて、それじゃあ第四会議室へむかいまショウか」
襟首を掴んでいたヴィンセントの手をぱしんと冷たく払ってブレイクが歩きだす。ヴィンセントはその後ろをとことこついてくる。ブレイクは嫌そうな顔でそれを振り返る。まったくそう言うところは素直だなァとヴィンセントなどは感心する。
「もう溝鼠に用はありまセンよ」
「でも僕はギルに第四会議室まで連れていけって、お目付け役だからね…帽子屋さんがちゃんと行くかどうか見届けないと、ね?」
ブレイクの瞳がヴィンセントのオッドアイを見据える。とろりと蜂蜜のようにとろけそうなのはヴィンセントの兄のギルバートだがヴィンセントにもその傾向があるようだ。そして紅の瞳はまるでそこにそのまま血液を流しこんだかのように鮮烈な紅だ。それも新鮮な血だな、とブレイクは独りごちた。血液と言うのは時間が経てばだんだんと黒ずんでくるものなのだ。実戦経験もあるブレイクは人体破壊の状況を何度か目にしてもいる。
もっともそんなことはもうどうでもよいのだ。ヴィンセントの目が片方紅いからなんだというのだ。ブレイクの紅い瞳は前髪に隠されて隻眼だからどうだというのだ。二人は言葉もなく、それでいて同じ律動で歩を進めた。ヴィンセントはわきまえて三歩後ろを歩いてくる。それでいて逃げようものなら一足飛びに飛んでブレイクを抑えこむだろう。そしてブレイクもそれを感じ取って知っている。微妙な間を空けた二人連れがパンドラの廊下を歩いていた。
禍罪って嫌われたけど
君と同じ紅なら、悪くもないかなって
最近思い始めたんだよ
ヴィンセントがブレイクの肩を掴む。振り向かせる。唇が重なった。ブレイクは今度は噛みつくような真似はしなかった。
《了》