ただの言いがかりだよ


   言いがかりだと判っていても

 古いものには独特の香りがある。藤堂の家は特に旧家のなりであるから建具や家具の年季が違う。卜部が実家でさえ拝んだこともないようなものが現役であったりして、時折もの知らずをさらす羽目になる。卜部は書斎に備えつけられた机に背を向けるようにして椅子を軋ませながらそびえる書架を眺めた。継いだものばかりだと前置くのが不要であるかのように全集などが並び、仮名遣いの差に怯む。同じ日本人を自負する青臭さをあっさりと旧仮名遣いは突き崩す。古典になればもうどこまで文章が続いているかさえ判らない。下層階級の出である卜部の学歴は低めで、だからこそ余計に判らぬ。勉強してねェんだから判らねェと思う反面で同じ民族なんだけどなァとため息をつく。藤堂が読破したかは訊いていない。己との差が見えてしまうから確かめない。
 換気のためと銘打って開けられている戸口をしきりに藤堂が通過する。卜部の視界でちらちらと鳶色や灰蒼が閃くし窺っているような気配もするから間違いない。藤堂と卜部はすでに肉体関係にまで及んでいるから互いの合鍵も持っている。好きに上がれと了解している。だから卜部も藤堂の私邸に書斎があると聞いたから見せてほしいと気軽く頼んだ。書斎というより書庫だなとうそぶいた藤堂の言葉はかなり当たっていて卜部は圧倒されるばかりだ。藤堂のちらつく姿が頻繁で、卜部は時間を見ようとして時計がないのに気づいた。諦めはよい方であるからそんなものかと力が抜ける。それにつけても藤堂の長身がいやにちらついた。臆面もなく自分の意見や状態を突きつける性質ではないから辛抱しているはずで、それがかなり嗜虐心を煽る。悪戯したくなる。稚気であると知っている。好きだよ赦すよと言われて卜部はどうしても試したいのだ。じゃあどの程度まで大丈夫なのどこから駄目なの。藤堂が我儘を堪えるたびに卜部は後ろめたい満足と歪んだ反省を得る。
 びっしりとそびえる書棚は塔の内部にいるかのようだ。細るようにすぼまる先端は薄暗くて限りさえ見えない。確実に細くなっていつか途絶えると判っているのにその程度は緩やかで甘い。卜部の暗澹たるような気分に比例するかのように天井は暗く梁さえも見えない。けほ、と咳き込む。紙は湿気や埃を吸いやすく、あまり溜めると呼吸器官に負荷がかかる。卜部は特に持病を持つわけではないが、体質として脆弱であるから差がわずかでも思わぬ痛い目を見る。季節の変わり目ごとに微熱や起き上がれないのを繰り返す体質は軍属しても変わらず閉口した。
「卜部、咳が出るなら出なさい」
袖口を肘までまくってあらわにしている藤堂の姿が見えた。返事をしないが顔は向けている卜部に藤堂は居心地悪げにたたらを踏んだ。立ち去ろうとして果たせぬ未練と見栄が窺える。
「手入れをしていないから、喉を悪くされたら困る。用が済んだなら出なさい」
言いつける物言いになるのは藤堂が教鞭をとっているからで、あてがわれた道場で年齢の差別なく門下生を取っている。幼子と対することも多く、立場として教える位置であるからどうしても上から言いつけるようになる。
 平気です、と言おうとして咳き込んだ。喉の渇きを湿したかった唾液が入り口を間違えて肺を軋ませた。痙攣的な咳が何度か続き、目の奥がじんと熱い。背を丸めるように反射的に取る体勢に気付くと藤堂が歩み寄って来るのとが判った。水場で作業していたのか、藤堂の手が水分で薄い明かりを乱反射する。喘鳴を起こす卜部の背をさすってから藤堂が立ち去ろうとする。
「湯ざましを持ってくるから」
離れて行く手首を掴んだ。細い。藤堂の戦闘力から推し量れない細さだ。華奢でも脆弱でもなく引き締まっている。藤堂の体は考えられないような強靭さと柔軟を備えながら身なりにそれは比例しない。藤堂の裸身はよくできた彫刻のように出来上がっていて手を加える隙も影響するような狭間さえない。思わず掴んだ手首に藤堂は手を添えてふわりと笑んだ。
 「さびしがるなど珍しいな」
卜部がむっと押し黙る。喉の咳は落ち着いてきて話せるが卜部は口を利かなかった。藤堂にもそれは伝わっているようで、卜部の手を振り払いはしなかった。藤堂の襟を掴んで引き寄せる。卜部にも軍属として腕力くらい備わっている。不意打ちでもあったから藤堂の体が傾いだ。引き寄せた藤堂の耳朶に卜部が噛みついた。睦みあうような甘噛に藤堂の体がびくんと跳ねる。耳朶を食んでから卜部の舌が穴を穿つように舐る。卜部の腕の中で藤堂が慌ててもがく気配がする。
「よし、なさいッ…冗談は、いい加減に」
「シたい、すか?」
吐息交じりにささやけば藤堂の耳があっという間に赤らんだ。頬や首筋まで紅潮している。卜部の肩を押しのけようとする手が震えている。その震えは恐怖というよりは撤退のタイミングを計りかねているかのようだ。卜部は藤堂の手を取ると乱暴に開いた襟の中へ突っ込んだ。咳で体温が上がった卜部の体に藤堂が怯む。躊躇しながら、それでもおずおずと藤堂の手は卜部の胸部を這った。
「苦しくは、ないか」
鼓動を確かめるように撫でながら胸骨の軋みを推し量っている。藤堂の優しい躊躇はいちいち確かめられながら、一枚一枚ずつ衣服を剥がされていくのにも似た。藤堂は卜部の許可と認識を疎かにしない。優しいようで残酷で無慈悲だ。
 「あんたが慰めてほしいならそうしてやる」
クックッと喉を震わせて笑う卜部に藤堂が嘆息した。
「そんなもの言いができるならば大丈夫そうだな」
「あんたこそそんなこと言って平気なのかよ」
卜部の爪先が藤堂の耳朶をくすぐってから喉を撫でて胸部を圧す。その手はあっさりと下腹部へ侵入して藤堂の脚の間に入りこむ。卜部は具合を確かめるように間をおいてからにやぁと笑んだ。
「熱いぜ」
熱の名残を感じさせない動きで卜部は自ら襟をはだけた。釦が飛んでかんかんと軽い音がする。緩衝材を惜しみなく使用した椅子の居心地が好くて卜部は脚をたたんで座っていたから、藤堂はすぐさま卜部の膕を抑えた。そのまま膝を開けばすぐにでも行為に突入できる。
「もっと焦らしてイカせろよ」
目的が明らかな藤堂の動きを卜部が揶揄する。立場の優劣を悪化させるだけだと判っていても卜部は藤堂に何か言いつけるのが愉しくてたまらない。藤堂が恥じらったり躊躇したり、その挙句の暴走であってもそれは変わらない。卜部の貞操観念は周囲が想っているより希薄だ。
 藤堂がじっと押し黙ってから動きを止める。卜部の言葉に従ったというより、思考に比重が置かれて手脚がおろそかになっているのだ。卜部は鼻白んだように目を瞬かせたが何も言わなかった。怜悧な藤堂を支える思考力と集中力は卜部の比ではないから手など出しようもない。退屈だなぁとうそぶきながら卜部は藤堂の自覚が戻ってくるのを待った。
「巧雪、お前は――」
考え抜いた末であろう言葉は結びが融けて紡がれなかった。何が言いたかったかさえ判らない。ただ藤堂の手は止まったままで、膕を抑えられている体勢が辛いし火照りを帯び始めている体も辛い。
「なァしねェの?」
恰好が情けない。同時にここがどういう場所であるかさえ自覚してしまって余計に始末に負えない。居心地と具合と情けなさが影響しあってひどく座りが悪い。よすならよすで脚から手を離してほしい。卜部の屈した体勢ばかりあらわで見世物のような気になる。
 藤堂の灰蒼の冷徹さに卜部の背筋を寒気が駆けあがった。藤堂と卜部の関係の脆弱さがその一瞬で判る。必要があれば切り捨てられてかまわないと思っていたが藤堂の冷たさはそれ以上で己の覚悟の甘ったれを痛感した。くぐってきた修羅場の質も数も違えば覚悟も違う。卜部が捨てたものを藤堂はまだ持っているし、卜部の捨てられないものを藤堂は捨てている。
「本当に何も考えずお前に溺れて犯してしまえたらいいのだがな」
ぐぶ、と藤堂の体がねじ込まれる。容量としてはわずかであっても意識の占有率がまるで違う。卜部の主導権はあっという間に剥奪された。卜部の体さえも藤堂に向かって拓いてしまう。緊張が融ける。弛む。体液や蠕動が藤堂に優先される。
「…――…ッあ…!」
衝撃を吸収する材質の椅子に卜部の体が沈む。藤堂がのしかかってくる。肘掛けに足がぶつかる。痛い。呻く卜部に気付いた藤堂が肌蹴られた襟を掴んで引っ張った。
 「――ぅわ、ッ」
突然の転換に驚いた声を上げたが卜部の体は反射的に受け身を取る。藤堂の方でもそれを見積もっているように動きが荒い。床は板張りだ。派手な音をさせて卜部の体は椅子ごと磨かれた床に転がった。その肩を掴まれて仰臥する。留め具を外されて緩められていた衣服を剥がれる。あらわになる卜部の膝蓋骨を藤堂の手が優しく撫でた。くすくすと秘めたような藤堂の笑みは吐息に混じる。
「お前は喧嘩を売るわりに始末をつけんな」
「あんた相手に喧嘩ァうった覚えはねェなァ」
はンと鼻を鳴らせばますます藤堂は愉しげだ。凛とした眉筋の緊張が弛んで人の好さがにじんでいる。
「焦らされる趣味があるならばそうするが」
「はァン、焦らせんのか、あんたァ?」
嘯いて言い返せば藤堂はにっこり笑ったままで卜部の脚を開かせる。下腹部が接触する。体温が行き交うように心地よい侵略が開始される。藤堂に影響しているかもしれないと思う反面で藤堂の熱に惑う己を自覚する。皮膚さえ超えて熱は入り込んでくる。まして特に熱を帯びる部位であればなおさらだ。卜部の息がすぐに上がって熱を帯びる。
「は…ふ……ぅ…」
「案外堪えが利かないな。もっと我慢しなさい」
 藤堂の声はいっそ愉しげで、出来の悪い子供を教えるときに似ている。だが同時にそれは藤堂が最大限甘い時でもある。藤堂は境界を越えた相手への要求が反比例する時がある。見知らぬ輩に難題を押し付けない分、知己ともなればわがままも言われる。藤堂のちょっとした無理は親しさの現われでもある。
 涙のにじんだ眼差しが書斎の窓をとらえた。藤堂の私邸は旧家然としている分、草木の茂りも旺盛で、灌木喬木が密に茂った。目隠しを兼ねるそれの咲かせるような花の白さに気付くのは心構えさえない時だ。嵌め殺しの硝子を隔てて外で揺れる花の白さに卜部の脳裏は染まる。卜部の視線を追った藤堂の目線が泳いですぐに白い花へたどりつく。
「珍しいな」
茫然とつぶやかれた言葉の続きを卜部は待つように黙った。身じろぐのを藤堂は気づきもしない。
「あの花が咲いているのを見るのは珍しいな。何年振りだろう。名前さえも知らぬというのにな」
藤堂の微笑みは美しい。だがそれはどこか隔絶したように孤立したものだ。連動も同調もなくそのままそれだけでしかないもので、干渉も影響さえも受け付けない。そういう冷たさが卜部はひどく心地よいと思う。自分が影響するなど嫌だ。俺は俺の責任をたぶん負いたくないのだ。身勝手なことであることもかなわないことであるのも知っているが、藤堂においてだけはそれがきっと叶う。個の永続は死も再生さえも拒む。藤堂は明らかにそういう部類だ。ただ一人でずっと一人で、永遠に。君が終わるときに世界は終わる。
 卜部は藤堂の襟を掴んで首筋に歯を立てた。甘噛の部類に入るが血のにじむそれに藤堂が目を向ける。
「痛いが」
「早くシろよ」
噛みつくような口付けを交わす。憎しみ合うような交歓を繰り返す。

たぶん誰よりもあんたが好きでよく判ってて
たぶん誰よりもあんたが嫌いだ


《了》

例の二時間クオリティ!(直せよ)
藤堂さんと卜部さんは素直に好きだよって言い合えなかったら萌えるよねって、
それだけなのになんだろうこの話は!(長い)
朝比奈が超空気でごめんwww 誤字脱字ありませんように!            2011年4月24日UP

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