今も私の、中に


   泣いてもいい日

 例年にない暑さに食の細る藤堂を心配して朝比奈と卜部はいつも押しかけた。押しかけた卜部の方が食べていないことを知った藤堂が無理矢理引き留めて食事を作る。朝比奈は華奢な体躯のわりに食欲は旺盛であった。季節で食欲の程度が変わるなど体験したこともないと幼い顔を不思議そうに傾げて言った。卜部は逆に季節の変わり目と言えば不調を訴えることが常であるらしい。藤堂が食事を作ると決まった際に朝比奈が並べ立てた献立に散々文句をつけた。好き勝手な献立を並べ立てた朝比奈も朝比奈であるが、卜部の方も脂っこいのは嫌だ肉も好かぬとケチをつける。献立は結局藤堂へ一任することに落ち着くのだが必ずひと悶着は起こす。藤堂が作れば一番文句も出ずにおさまるので藤堂が自ら買って出る。理由は判らない。一度問うてみたら朝比奈と卜部は意味ありげな視線を交わすだけで明言しない。藤堂に献立を任せる理由は一致してるらしいが口には出さないということでも一致をみているらしい。
 その卜部も朝比奈もいない。訪問者が極端に減ってもなお藤堂は悪あがきのように家を手放せない。季節がめぐるごとに彼等の行動を思い出す。折り折りで藤堂の家を訪れ泊まっていった二人はいつの間にか藤堂の深層にさえ達した。朝比奈も卜部も根城においてあった遺品程度しか残っていない。二人とも遺体の回収は困難な状況で逝った。生存も絶望的である状況だった。もし二人が藤堂の直属のような力のある部署にいなかったら、と思うことがある。一兵卒であったなら、壊滅的な敗北を喫した際に逃れ出て、団体を脱して生き延びるという選択肢もあったかもしれない。朝比奈も卜部も野放しにされるほど無力ではなく、放っておかれることのない戦闘力を有していた。現に卜部は団体の再興の際に必要になった戦闘で逝ったと聞いた。
 季節が悪いのだ、と一人ごちる。盂蘭盆の習慣のあるこの地では、人は亡くなってもそれで終わらぬ。季節ごとに供養という行為で思い出される。黄泉から亡くなった人は帰って来るんだよ。だから迎えてあげようね。親から伝え聞く習慣が諦め悪く、喪った人を想わせる。藤堂は盆暮れごとに手入れを兼ねて帰宅をする。訪う人の極端に減った家は傷みが早い。居着かぬ暮らしぶりをする藤堂の呼吸は旧い家には馴染まない。朝比奈と卜部がいた頃は頻繁に帰宅した。手入れが面倒であると言えば手伝いを申し出、理由をつけては泊まり込む二人は藤堂に忘れそうな生活感を思い出させた。
 起きぬけに開け放った硝子戸の外は既に暮れている。立秋を迎えれば日暮れは早い。藤堂は重たい四肢を繰って蚊遣りを出すと火をつけた。それだけの動作にひどく倦む。食事もあまり摂っていない。空腹に気付かないのだ。そういえばと気づいて習慣的に摂る食事は楽しむというより義務に近かった。湯は浴びていたから浴衣に着替えており、暑さも苦にならない。感覚が鈍い。刃物を使っていても紅くにじむものはなんだろうと気づいて初めて裂傷に気付くことが多く、懲りた。虚ろに投げた視線の先に小箱が映った。細々としたものを入れるのに使うそれは卜部がその日の広告で折り作ったものだ。手脚が長く大雑把にくくられがちな卜部の器用さは意外だった。大きさが違っていても器用に作る。朝比奈が簡単そうだねと手を出したがすぐに挫折した。藤堂も試してみたが難しく、結局は出来ぬと放り出した。それでいて卜部はなんとも思わぬらしく、西瓜の種でも吐いてからこれごと捨ててくださいなどと言う。色鮮やかな広告で作ればそれなりに見栄えもよく、藤堂がしまいこんで使っている。
 「…あさ、ひな。うらべ」
藤堂を慕い、追いつこうと励んだ彼等はそれゆえに力を持ち、藤堂の預かり知らぬところで逝った。藤堂はこの家にある二人の私物を処分できずにいた。実家へ送ろうかと判断を求めた手紙は宛先不明で藤堂のもとへ戻された。反政府勢力として活動する人間に帰る家などない。突きつけられる偏見と慣習の根深さを逆手にとって藤堂は二人の私物を遺す理由を得た。無意味であると判っても衣替えの時期が来れば抽斗の中身を入れ替えた。親しい人を亡くす経験がないわけではない。両親さえすでに無い藤堂には慣れた喪失だ。それでも朝比奈と卜部の喪失はひどくこたえた。騒動が終結し、仕事に忙殺されることも収まりを見せ始めたこの頃になってそれらは牙を剥いた。その牙や爪は藤堂の体を簡単に引き裂いた。
 藤堂は唐突に立ち上がると棚や部屋の隅を探った。迎え火のための麻幹を購入してあったはずだ。習慣的に季節ものを購入してのちに、その習慣に付き合ってくれる人がいないことに気付いた。時期外れであることを知っていたが藤堂は仏壇から持ち出した燐寸と麻幹を手に玄関先へ出た。往来に面した門扉で季節外れの慣習をするほど厚顔にもなれずに玄関先を選んだ。燐寸を擦って火をつける。なかなか燃えないがついてしまえば長い。刹那で燃え盛るのではなくじりじりと小さく篝火のように長持ちした。揺らめく焔の呼ぶ幻影は性質悪く藤堂の気をくじいた。迎え火に朝比奈も卜部も付き合い、談笑した。背の高い卜部は提灯をつるすときに重宝した。朝比奈は先回りしてしまい込まれていた間についた埃を落としたり包装を解いたりする。実家へ帰りなさいと諭す藤堂を朝比奈は知らぬふりで、卜部はこともなげにあっさりと言い分を述べてあしらった。反政府勢力に加担するような親類はいねェ方が平穏なんですよ。寂寥感に黙る藤堂に卜部はだからあんたと一緒にいられると口の端を吊り上げて見せた。その意味は二人の遺品の処置の際に藤堂の身に沁みた。
 玄関先で揺らめく迎え火に双眸が潤む。人気のない静けさは常にない寂寥や悲しみの情を呼んだ。愚鈍であるとうんざりしたそばで感覚は鋭敏になり何でもないことで落涙する。
「ここに立ち寄ってくれる、だろうか」
季節も外れている。朝比奈も卜部も融通の利かぬ面があったな、と微笑ましく思い出す。軒燈のもとで迎え火をたく藤堂の家の前で止まる気配がした。硝子戸を開け放っているが明かりをつけていないので留守なのかどうなのか判じかねるような気配がある。藤堂は潜り戸をあけると自転車に跨った青年がいた。大きな鞄を抱えている。
「なにか」
浴衣姿の藤堂に面食らったように黙っていた青年だがバネ仕掛けのように動きだす。その話では彼は郵便配達夫で、集配に手違いがあり配達が極端に遅配になったことを告げて詫びた。バイクの走行音を夜半に響かせることに躊躇して自転車で手分けして回っているという。藤堂は礼を述べて郵便物を受け取った。青年は鞄を揺らして遠くなっていく。
 広告の郵便物が多く、手間をかけさせたことに申し訳なく思うと一枚の葉書があった。千葉からである。藤堂とその直属の少数名は四聖剣と別称を冠した。その四聖剣に女性でありながら名を連ねた女傑だ。藤堂は軒燈のもとでその葉書を読んだ。用事があってこの盆中には藤堂の家を訪えないことと、きちんと食事を取ってくださいと体を案じる文面が続く。…皆、中佐を案じています。千葉の筆がそこで若干の震えを帯びていた。躊躇を感じさせるかのように文字の太さや勢いに共通性がない。みんな、に含まれる深意を藤堂は感覚的に理解した。四聖剣のうちで生存しているのは千葉だけだ。藤堂は麻幹の火が消えているのを確認すると縁側から屋内へ上がった。
 仏壇には朝比奈と卜部、仙波の位牌がある。皆、度重なる戦闘で落命し、藤堂は暇ができた際に檀家となっている寺院に位牌の手配をした。彼等の親類に極力連絡を取ろうとしたがうまく運ぶことの方が稀で藤堂が私的に作成を頼んだ位牌が残った縁となっている。千葉からの葉書を彼等の位牌が並ぶ仏壇へ供えた。頂きものは一度供えてから封を切るという習慣がある。要らぬ手間であるが馴染んだ習慣であるから自然とそう運んだ。
「千葉からの便りだ。元気そうでよかったと思う」
藤堂は彼等の位牌に対した時は心穏やかでいられた。藤堂の過去の戦績は褒賞と同時に怨嗟も呼ぶ。褒められるのも貶されるのも藤堂は嫌った。高位へ据えようとする周りから逃げに逃げたが逃れきれなかった位置に現在は所属していた。
「時期外れではあるが迎え火をたいたよ。気付いてくれたなら立ち寄ってほしい」
冗談めかして笑みながら藤堂は言葉を紡ぐ。聞く人がいないのは承知の上だ。
「盂蘭盆にはどうしても帰れなくて…薄情だと怒ってくれて構わない」
藤堂は隠しにあった燐寸を探り当てて蝋燭に灯をともした。小さく揺らぐ焔は迎え火を呼び起こす。
 暑さを感じるたびに暑い暑いとこぼした朝比奈や面倒そうにあしらう卜部が思い出される。若者を見下ろす位置にいた仙波やうるさいと一喝する千葉。戦闘状況にあっても四聖剣の面々は藤堂の救いであった。藤堂の家は広く作ってあったから何かあれば集まりの場になった。朝比奈や卜部など用がなくとも訪う。
「…お前達が、いなくなって」
藤堂の目の奥がツンと熱くなる。しびれるような予兆は落涙の前兆だ。それでも藤堂は涙をこぼすことはほとんどなかった。藤堂の位置において落涙で解決する問題などない。泣くだけ無駄だ。泣いてもなんの慰めさえ得られない位置は藤堂の感覚さえ書き換えた。そんな藤堂をどう思ったのか朝比奈や卜部は殊更に藤堂を泣かせたがった。哀しいなら泣け、辛いなら泣け。なんの躊躇もなく言いきる彼等はひどくうらやましかった。戦闘のたびに藤堂は部下を亡くし、泣いていては指示が務まらない。いつしか泣かぬ人になっていた。冷血だとの罵倒されたことも少なくない。それでも藤堂は泣き喚いて冷静な判断力を失くすことの方を恐れ忌んだ。
「…少し、辛いよ」
初めてこぼした弱音だった。
 朝比奈は藤堂が人の上に立てたと実感させてくれた。卜部は痛みを分かつことを教えてくれた。仙波は頼ることを、千葉は気遣うことを、教えてくれた。誰もが掛け替えなく、喪ってなお痛みは藤堂の体を裂く。唯一残った千葉は藤堂に詫びた。朝比奈や卜部、仙波の喪失を埋めることは私にはできません。そこまでの無理を強いるつもりもなく藤堂は了解した旨を伝えた。
「…くる、しい」
朝比奈の軽妙な軽口も卜部の指摘も仙波の大笑も。何もかももうありはしない。堪えて堪えて堪えて、藤堂は結局目を背けただけだった。そのつけを今、払っている。喪失に対する代償として藤堂は堪えきれない感情のほとばしりを感じた。そろえた膝の上で拳が震えた。藤堂は習慣として仏壇に対するときはいつも襟を正し正座をする。点した蝋燭の火が揺れる。線香さえつけていないことに気付いた。縁側で点している蚊遣りの火が橙に見える。にじむ視界に藤堂は涙がにじんでいることを認識した。それでも落涙するほどの水分はなく、藤堂の驚愕を白けさせる。藤堂は己が思うよりずっと薄情であると判じた。失くした仲間を思ってなお涙さえ出ない。目線を膝頭へ戻したのはいたたまれなくなったからだ。悼むことも泣くこともできない憐憫など同調さえ呼ばない。藤堂は食事を摂ろうと立ち上がろうとした。帰宅してからまともな食事をとっていない。強いるものもなく自立に任されたそれを藤堂はおざなりにした。空腹であることに唐突に気付いた。何か食べなくてはと思う。朝比奈や卜部の小言が耳に甦って苦笑する。もう小言を言う人もいない。
 りん、と風鈴が鳴った。藤堂は涼を求めて縁側へ風鈴をつるしている。朝比奈も卜部もそれを拒否しなかったから習慣的につるした。吹き込むような風はなくそれでいて風鈴は頻りにりんりんと硬質な音を響かせた。暗緑色と黒蒼の色彩がよぎって藤堂は腰を上げかけた。同時にそれはあり得ない事態を悟らせ脚を鈍らせる。朝比奈も卜部ももういない。肉片さえ遺さず彼等は逝ったのだ。藤堂に確かめるすべもなにもない。腰を浮かせた中途半端な姿勢のまま藤堂は硬直した。体が震えた。藤堂は仏壇の前へ腰を落ち着けた。動揺は去っていない。それでも。
「立ち寄って、くれたのだろうか」
三人の位牌は藤堂に冷静さを取り戻させた。
 時期外れの迎え火はひどく目の裏に灼きつく。彼等は実家へ思いを寄せず藤堂の家の方が大事であると臆面もなく口にした。体を失くしてなお立ち寄ってみせると言い切る言葉が今は哀しい。
「私などの家に、来てくれるだろうか」
藤堂が問うように言葉を発すればりぃんと鈴が啼いた。見開かれた灰蒼が満ちていく。

『中佐』

藤堂を古馴染みは階級で呼んだ。旧日本軍崩れの残骸であるそれを呼称として使い、それでいてそれらは親しみの度合いにもなった。
「――ぅ、あぁ、あ」
藤堂の喉が震えた。呼気を吐き出すことさえ危うい。悔いる言葉も詫びる言葉も藤堂に述べる権利はない。藤堂の爪先が畳を抉る。ぎちぎちと不穏な音をさせる指先が紅くにじんだ。藤堂は堪えた。哀しむ権利など私にはない。泣くことなど、赦されない。
 朝比奈も卜部も、痛みを分かち合える人たちであった。痛いでしょう、泣いていいよ。彼等の言葉は温かくて優しくて。亡くしてなお、涙があふれそうだった。朝比奈も卜部も、藤堂に赦しを与えて逝った。

藤堂はその場で伏して何度も何度も、泣いた。
りぃんと硬質な響きを帯びて鈴が、鳴った。

――、一日。一日でいいんです。
泣くことを、赦して、下さい。


《了》

お盆だから!(お待ち)
悲しいって言える日だと思うから。             2010年8月22日UP

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