君のこと、信じてるから


   ゆだねる体

 帳面の同じ行を繰り返して読んでいることに気づいた時にはすでに意識が半分ほど飛んでいた。時刻表示を見ればすでに夜半と言っていい頃合いだ。藤堂は留め具を外して夜着として使っている単衣に着替える。襟を正して帯を締める。緩く体を包む単衣に身を包むと藤堂の体は睡眠の体勢に入った。寝台へもぐりこもうとした、まさにその刹那に呼び出し音が盛大に響いた。いささかムッとしながらも来訪者を確認すれば腹心である四聖剣の朝比奈だ。年若い彼はエネルギーにあふれていて仔犬のように扉が開くのを待っていた。藤堂は眠りたい旨を伝えるべく扉の施錠を解いた。扉を開くなり藤堂はその体を引っ張られて通路へ飛び出した。
「朝比奈?」
朝比奈が人差し指を立てて静かにと言う。うるさくしたつもりはないが何かやましいことでもしているかのように二人はこそこそと入り組んだ通路を奥へ行く。藤堂は怪訝そうだが眠気に負けて問いただす面倒を嫌った。黙ってついてくるのをどう思ったのか、朝比奈は上機嫌で足取りも軽い。
 夜半ともなれば巡回をする当番以外は就寝して出歩かない。それぞれがあてがわれた部屋で休んでいるはずだ。朝比奈がくるんと振り向いて全開の笑顔を見せる。藤堂は驚くでも厭うでもなくそれを見た。藤堂の前では朝比奈が笑っているのが常態だ。感情豊かに表情を変えるが基本形は笑顔だ。人通りもない通路に空いた空隙に朝比奈は藤堂を押し倒した。腕力でいえば藤堂の方が上をいくが、藤堂に反抗の意識はおろか平素の状態すら保つのが精一杯で朝比奈のされるままになる。元来藤堂は受け身な性質だし無駄な諍いも嫌う。ケンカなど売られても売らない性質だ。
 朝比奈が上機嫌に襟を乱し帯をほどくのを藤堂は好きにさせた。抵抗どころか張り合いもない。この時点で朝比奈はようやく藤堂の異変に気づいた。藤堂の灰蒼の瞳が煌めいては目蓋が覆うのを繰り返している。体がずるずると壁を伝うように滑って座り込んでしまう。覗く胸板や腹部は訓練のおかげで引き締まって見苦しくない。朝比奈が藤堂とこうした行為に及ぶのは初めてではないし、不本意ながら抵抗されるのもしばしばだ。その藤堂の無抵抗さに朝比奈は怪訝そうに藤堂の顔を覗きこんだ。
「藤堂さん?」
うつらうつらと船をこぐ様子に朝比奈が唇を近づけた。
「眠いの、藤堂さん。だったら一つだけ。…――藤堂さんの好きなタイプ教えてよ」
耳朶で甘く囁けば目蓋が震えて灰蒼の瞳が覗く。眠いながらも不思議そうに朝比奈を映し出す。
「教えてよ。そうしたら、部屋に戻りますから。実はずっと気になってたんですよね、藤堂さんの好きなタイプ」
 藤堂は新たに発生した面倒事に嘆息した。言えば解放するというのは言わねば放さぬということだ。藤堂は必死に脳を働かせて唇を開いた。下手を打てば行為になだれ込むきっかけを与えてしまうし、言質をとられる恐れもある。朝比奈は年若いくせに執拗な面がある。
「…――優しい、人がいい」
藤堂はありふれた答えを口にした。朝比奈もうんうんと相槌を打つ。当たり前の答えに満足しなかったらしい朝比奈はその先を問うた。そりゃあ優しくないより優しい方がよいに決まっている。
「…私より、背が高い人」
一昔前の女子中学生のような回答は、藤堂が食堂で女性陣が好みのタイプについてはやはり長身な方がいいと言っていたのを思い出したにすぎない。そもそも男性の中でも長身の部類に入る藤堂より長身となると限られてくる。朝比奈が陶器のように固まった。朝比奈の暗緑色の大きな瞳がみるみる潤む。
「や、やっぱり背が高い方がいいんですかッ?! そう言うもんですかッ?!」
鬼気迫る朝比奈の様子に藤堂はただむやみに頷いた。とにかく眠かった。解放されるなら取り合えずなんにでも頷く腹積もりだった。藤堂の意識があったのはそこまでで、朝比奈が何やら叫びながら遠ざかっていくのを見ながら眠りに落ちた。

 卜部は嘆息して通路を歩いていた。面倒事が続く時はあるもので愛機の調整に時間を食ってようやく解放されたと思ったら雑用を押し付けられてようやく自室へ引き取るところだ。朝比奈は早々に愛機の調整を終えたところを見ると敬愛する上官のところへでもなだれ込んでいるのだろう。朝比奈はあれでさばさばしていて色恋沙汰や想いを隠さない。藤堂に好意を寄せていることを公言してはばからないし、藤堂も邪険にしない性質だ。二人の関係は薄々感じている。問題は藤堂はあまねく人々を魅了するところだ。恋愛感情混じりに好意を寄せるものもいれば純粋に尊敬すべき人物として慕うものも後を絶たない。かく言う卜部もその一人で藤堂への想いはそれなりだ。戦闘や作戦に伴う藤堂の優秀さはよく判っているし、己のそれが具体的な欲望を伴う感情になるのはある意味自然の流れだった。朝比奈など体の欲望へ直結した想いをぶつけて嫌われないのだから、いささか妬ましくもある。
 だだだだだ、と夜半にはふさわしくない足音を立てて駆けてくるのがその朝比奈であることに気づいて卜部は呆気にとられた。毛先の長さまでこだわるほど念入りにそろえた髪も構わず駆けてくる。思わず通路の端によけた卜部に気づいた朝比奈が射殺しそうな目線を投げた。
「…なんだよ?」
「…あ」
朝比奈は卜部の爪先から頭の先までを睨みつけた。
「あんたなんか大ッ嫌いだー!」
「はぁあ?」
問い返したい卜部を無視して朝比奈が駆け去ってしまう。叫び声が奇妙にこだまして殷々と響く。卜部はしばらく立ち尽くしたが朝比奈の駆けてきた方向へ向かった。方向から見て藤堂の部屋に近い。藤堂の部屋を訪ったが返答がない。拒否反応もなく、来訪者を受け入れる藤堂にしては珍しい。眠ってしまったのかと思いながら脇道に差し掛かるたびに覗いた。藤堂は在室しているなら応答するだろうし、就寝する際にはその旨が伝わるよう気配りを怠らない。
 入り組んだ通路の空隙に座り込んだ藤堂が映し出されて卜部は慌てて駆け寄った。気分が悪くなったなら手当てが必要だろうし、通路で眠るなどという醜態をさらすのは藤堂らしくない。
「中佐?」
紺絣の単衣に包まれた体は襟や裾を乱して卜部を誘う。しっかり閉じられていた目蓋が卜部の呼びかけにぴくぴくと震えた。しっかりとした骨格の肩を掴んで揺すれば藤堂が目を開く。灰蒼の瞳が潤んだ煌めきで卜部を見た。
「どうかしました? 寝るなら、部屋で…」
藤堂は何度か瞬きを繰り返してからきょろきょろとあたりを見た。
「朝比奈は」
「何か泣き叫んで走り去りましたけど。…なんかあったんですか?」
藤堂は心底不思議そうだ。ごしごしと目をこする様は幼子にも似て不似合いな庇護欲を呼び起こした。
 「…好きなタイプを、訊かれた」
「それで?」
朝比奈は軽薄なようでいて藤堂へは最大限譲歩している。こと藤堂に関しては朝比奈は寛容だし我慢強い。
「優しくて…私より背の高い、方がいいと」
「そんなこと言ったんすか?!」
すでに半分ほど眠っている藤堂に卜部は天を仰いだ。これで朝比奈が敵意に満ちた眼差しを卜部に向けたのも判る。長身の藤堂より卜部はさらに背が高い。対して朝比奈は小柄で華奢な体躯だ。背丈も藤堂に及ばない。
「何か迷惑でも、あった…か…?」
その問いを最後に藤堂はすとんと眠りに落ちた。四肢から力が抜けて乱された襟や裾を直す気力もないらしい。何事も厳しく律する藤堂がそれなのだから限界近かったのだろう。卜部は嘆息して藤堂を抱えようと膝をついた。
 まさか藤堂をこんな通路の空隙に転がしておくわけにもいかないし何より転がしておくには藤堂は魅惑的すぎる。いつ誰が藤堂への劣情を具体的にするか判らない。幸い、藤堂の目方は標準程度だし、卜部も軍属の身だ。抱えあげられないこともない。卜部は藤堂の肩と膝裏に腕を通してから、よっと掛け声をかけて抱えあげた。長身の藤堂を抱くにはいささか難儀したが完全に脱力している以上、肩を通して担ぐわけにもいかない。肩を貸す抱き方は抱かれる側の協力も必要だ。
「…お姫様だっこか…」
思いついてしまった言葉をふるふると振り払って卜部は藤堂の部屋へ向かった。なんとか苦心しながら施錠の解除パスを打ちこむ。藤堂は部下を大切にする性質で、特に理由がないときは訪うものが通路で待ちぼうけを食わないようにと施錠を解いておいたり解除パスを教えていたりする。朝比奈はそれをいいことに好き放題出入りしているのだ。
 卜部は真っ暗な部屋を手探りのように慎重に歩いて寝台を見つけ出すと、そこへ藤堂をおろした。ギシリと寝台のマットが軋む。上掛けを探して藤堂にかけてやると部屋を出ようと思う。だが卜部はそこから動かなかった。寝台へ腰を下ろすと藤堂の硬い髪を梳いてやる。暗闇では見えないが藤堂の髪は黒色ではなく鳶色をしている。鋭く相手を射抜く眼差しは灰蒼。
「あ…ーぁ、俺っていい人なんだろうな…」
あと一歩を躊躇する。好かれないということと嫌われるということは同じではない。嫌われさえしなければと卜部は積極的な行動は起こさずにいた。
「据え膳、ね。据え膳…」
暗闇の中では視覚はほとんど能力を失い、触覚や聴覚が過敏になる。藤堂の寝息や触れる額や目蓋の裏の眼球のやわい感触などがありありと判る。通った鼻筋を撫でて唇に触れる。口付けたらそれは柔くとろけていきそうに柔らかい。それでいて唇は瑞々しく張りがある。ツンツンとつつけばゆっくりと隙間を開く。唇の間へ指先を突っ込んでも藤堂は黙って咥えている。卜部はもう何度目か判らないため息をついた。仙波のように間をおくこともできない。千葉のように素直に尊敬することもできない。まして朝比奈のように肉欲をぶつけることもできない。結局のところ、卜部はいい部下で終わっている。
 「キスくらいしたいんですけどね…労働報酬?」
手探りで唇の位置を割り出して、吐息が触れるほどに近づける。口付けようとした刹那、唇が震えた。
「…卜部?」
卜部が素晴らしい速さで仰け反るように体を離した。藤堂の方はとろけたように瞬きを繰り返したが機密性のある室内では判らない。目の前で手を振られても判らない闇だ。藤堂の指先がスイッチを探して部屋の明かりをつけた。卜部はたじろいだように藤堂を見つめる。藤堂は辺りを見回してから頭を振った。
「私は、通路にいたのではないのか…朝比奈、は?」
「…どこか行きましたけど。中佐は通路で寝てたんで運んだんですよ、ここまで」
「…それは、すまなかった」
とろとろととろけていきそうなほどに潤んだ藤堂の目蓋を卜部は閉じさせた。
「寝てくださいよ。すごい眠そうっすよ」
震える藤堂の唇が開いた。
「すまな、い…巧雪」
びくんと卜部の体が揺れた。卜部の喉がごくりと鳴って藤堂を見つめる。眠りに落ちた藤堂は卜部の動揺など気づくこともなく熟睡している。ずいぶんと時代がかった仰々しい名前だと忌んでいたが、こうして藤堂に呼ばれてみると悪くない。唇の動きまでが脳裏に灼きついた。藤堂の尊さが仰々しい名前とあっている。藤堂もいまどき珍しい名前をしている。
「…鏡志朗」
耳朶で囁けば唸りながら寝がえりをうつ。恐れ多くも口にしたような後ろめたさと非合法の優越とが卜部を満たした。なるほど、これは朝比奈のように年若くなくてもくせになりそうなほどに甘美だ。
 ほんのり色づいた唇をツンとつつく。清冽でありながら艶めいた色気を感じさせるそれは天然ものゆえの魅力。人造物にはあり得ない求心力とそれ故の尊さ。
「キスくらい、いいかな…」
卜部や藤堂が身を置いているのは戦場であり、いつ死ぬとも知れない。自然と欲望は刹那的になる傾向を見せ、それが当然のような周囲の認識もそれを加速させた。

「ずっと、あなたのそばに…助けに」

誓うように呟いてから卜部は唇を重ねた。藤堂は受け入れるように唇を開いて卜部を容認した。
「…いつか、寝てみたいな」
真実目を向ければそこにあるのは剥きだしの欲望。けれどそれすら受け入れるかのように藤堂は卜部に身を任せた。髪を梳き、唇を吸っても抵抗しない。
「信頼って性質悪いよな…」
卜部は嘆息してから部屋の明かりを消して藤堂に寄り添った。


《了》

カップルになっているのかいないのか(待て)
卜藤っていうより、卜部→藤堂?(待て待て待て)
ほんのり香る朝藤(笑)、どうにかしなくっちゃ…!
でも書いてて楽しかったです(うわー)
後はもう誤字脱字さえなければ…本当いつも悶絶ものだから…!              12/15/2008UP

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