ねぇ、そんなになの?


   二兎追う者は二人以上?!

 ゆっくりと音もなく路地裏を歩く。それでいて暗がりへ引っ張り込まれるような間抜けな隙も見せずに藤堂は歩いていた。夜も更けて出歩くのが大人に限られてくれば商売も顔を変えるらしく、微妙で曖昧なやり取りが横行した。非合法なものがやり取りされ酒や煙草以外の嗜好品も違法にやり取りされた。感覚中枢や脳機能に影響を及ぼす違法なそれらから目を背けて藤堂はあてどなく歩き続けた。夜着としてきている単衣の裾をさばきながら下駄で歩く。男物の着物にまさか靴を履くわけにもいかずしまいこまれていたそれを失敬した。誰かがイレヴンと名を変えた日本人の文化に興味でも持ったのだろう。
 しかしいつまでもあてどなく歩くにも限度がある。朝になって寝床へ戻らなければ騒ぎになるだろうし、下手を打てば裏切りなどと思われて団体に亀裂を生じさせかねない。非合法な団体である以上厄介事は少ないに限る。たったったっと身軽い足音に気づいて顔をあげる。ちょうど交差したそこで藤堂は全速力だったらしいそれと衝突した。二人の体が互いに跳ねっ返る。藤堂はたたらを踏んだが倒れこむことはなかった。相手もバランスを崩したが倒れこむほどヤワではなかったらしい。
「すまない、前を見ていなくて」
「いやこちらこそ…君、は」
藤堂は謝って立ち去ろうとするそれに驚いて思わずそれを引き留めた。
 肩甲骨のあたりまで伸びた黒褐色の髪。冷静だとか冷徹だとかいう形容詞の似合うフレームの眼鏡と薄氷色の瞳。鼻筋はすっきりとして涼しげな美貌だ。
「ギルフォード卿?」
「…――! 藤堂、か?!」
ギルフォードも藤堂に気づいて驚きの声をあげた。藤堂もまたブリタニア軍属のものなら知らぬ者はいないほどの有名人だ。調子づいたブリタニアに唯一、厳島の戦闘で煮え湯を飲ませたのが誰あろう藤堂達だった。藤堂自身、その派手な戦績と捕虜として囚われていた期間が長かったのとで顔が知れている。ギルフォードとも何度か対面し、顔を覚える程度には接触があった。
 「どーこですかぁあー?」
響いた間抜けた声にギルフォードがさっと顔色を変えた。ただでさえ白い皮膚が蒼白さを増しているのが露店の明かりで反射した。藤堂がギルフォードの腕を取って暗がりへ身を隠す。路地と路地をつなぐその狭い隙間では互いの体が密着せざるを得ない。それを利用して男女がわざとそこへ入りこむこともあってか、そう言った暗がりはむやみと詮索されない。藤堂の胸に直接ギルフォードの拍動が響いてくる。緊張しているのか強く早く脈を打つ。蒼白かった皮膚は緊張に伴う興奮で紅さを増していた。時折射す露店の明かり具合でそれが知れた。
「あれは」
「ロイド伯爵です。ロイド博士と言った方が判りやすいか。そちらのラクシャータなる人物と同期だとか」
「…ラクシャータか…」
淡々と告げるギルフォードはそうっと外を窺っている。それを横目に藤堂はギルフォードがロイドから逃げようとしているのも仕方ないかと思い始めていた。
 ラクシャータはナイトメアフレームと呼ばれる戦闘機の技術者で、その腕は信頼がおける。女性ながらその道においてはなかなか侮れない技術力を維持している。だがその才の発展において常識という枷を失くしたらしく、彼女の性格はある意味破綻している。人の命すら時に軽んじる言動や小馬鹿にするのはもちろん、気に入らなければ寝そべる長椅子から動こうともしない。彼女を動かすのはあくまで戦闘機の状態だ。
「彼女の、同期か」
藤堂は頭痛の種が増えたような気がした。
 「…いません、ね。いません」
ふゥッとギルフォードが安堵の息をついた。その動きすら単衣や皮膚越しに感じ取れる。ギルフォードは無垢に藤堂を見上げた。二人とも長身だが背丈も肩幅も藤堂の方が若干勝っている。ギルフォードは軍属にしては華奢な性質だ。藤堂の方は武道に身を置いていた期間もある所為かそれなりの体格を維持している。
「すみません、ご迷惑をおかけして…」
「いや、構わない…私も似たような、ものだし」
「え?」
「逃げたかったのは君だけではないということだ」
ギルフォードが小首を傾げる。女のように白いそのうなじが覗いた。その白さはどこまでも官能的だ。吸いつきたくなるというのは嘘ではないと藤堂は思った。
 ギルフォードの手が不意に単衣の合わせ目から内部へ侵入した。相手を侮っていたこともあってか藤堂は警戒を怠っており、唐突なそれに藤堂は声を殺すので精一杯だった。
「健康的な色気とは君のようなことをいうのでしょうね。少しくらい強く吸いついても大丈夫そうだ」
婀娜っぽくギルフォードが笑った。彼の唇の紅さが灼きつく。熟れた果実のような瑞々しい感触を首に感じる。ずる、と何かこするような音をさせてギルフォードは鎖骨辺りへも吸いついた。
「…――ッ、動く、な!」
「感じる?」
挑戦的なそれに藤堂も不遜に笑んだ。藤堂の腕がギルフォードの体を抱え込み、背骨の辺りをゆっくりとなぞりあげた。ゾクゾクとするそれに体を震わせれば、それはすぐ藤堂に知れた。
 「感じたか?」
婀娜っぽく微笑する藤堂の余裕にギルフォードが舌を出す。藤堂の皮膚は健康的に灼けていて浅黒いほどだ。多少の鬱血なら隠れるだろう。それでいて皮膚の張りも瑞々しさも損なわれておらず、吸いついた唇と体温が程よく同化した。加えて、今はエリア11と名を変えた日本古来の衣服が非日常を思わせ興奮をあおる。着物は帯さえ解けばするりと前が開いてしまう。いちいち上下を脱ぎ着する面倒さもないがそれだけにガードが緩い。
「帯というのでしょう。解いたらどうしますか」
「さて、ベルトを解いてその中へ手を滑らせるかな」
クックッと二人の笑いに体が振動するのが感じられる。共鳴のようなその拍動は心地よく、いつまでも続いてほしかった。ギルフォードは子供のように無防備の藤堂の肩へ顎を乗せた。藤堂の鎖骨とギルフォードの喉仏が絶妙な位置合いで嵌まる。立体パズルを嵌めこむ快感と似ているとギルフォードは思った。パチンパチンと嵌まっていくその快感。それの出来上がりが見えてくる頃になれば愉しみも増す。
 「…あなたは包容力があるのですね。…羨ましい、限りだ」
「そんな上等なものはもっていない。私ができるのは黙って聞いてやることくらいだ」
ギルフォードは藤堂と触れあっている箇所から体が拓いていくのを感じた。そしてまた藤堂の体が拓いていくのも感じていた。互いにさらけ出しあっている。そしてそれはけして不快ではなくむしろ心地よくすらあるのだ。
「…あなたになら、抱かれてもいいかもしれない」
「滅多な事をいうな、首が飛ぶぞ。…私もお前になら、体を赦したかもしれない」
「そちらこそ、どうなるか判りませんよ」
自然と唇が重なった。温い体温が互いの体を行き来するような錯覚すら抱く。藤堂の体躯をめぐったそれがギルフォードの体へ戻る。癒着したそれが分離する際は痛むような気さえした。

 「うっふぅ、いいことしてますねぇ」

響いた声色は明らかな揶揄を含んでいたがギルフォードにとってはそれ以上の意味のある声だった。角のない四角いフレームの眼鏡から受ける印象は温厚そうでどちらかと言えば頼りなさげなくらいだ。淡い藤色の髪が露店の明かりでさまざまに変色する。天藍の瞳は冷たく怒りを燃やして藤堂とギルフォードを見ていた。
「僕を欺こうなんて無駄無駄。僕のネットワーク、舐めないでくださいねぇ?」
ロイドは二人の退路を断つ位置に立っていた。
「ギルフォード卿、いい度胸ですねぇ。僕や殿下に知れたらどうなると思いなんですかねぇ? うふふ、どうしようか?」
じりっと藤堂の下駄が地面を踏んだ。微妙に飛び出せる位置へ体をずらそうとしている。藤堂の力をもってすれば、痩躯のロイドなどひとたまりもないだろう。
「日本人もなめんなよ!」
唐突に響いた声にロイドとギルフォードは呆気にとられ、藤堂だけが頭を抱えた。ロイドのちょうど反対側に、ゴミバケツに片足乗せてポーズを決める朝比奈がいた。丸く道化のような眼鏡がユーモラスだ。一見すると黒色だが実は深緑の艶を持つ髪と瞳だ。眉の上から走る傷跡が彼が歴戦の戦士であることを証明している。
 「藤堂さん、やっと見つけた! 絶対に今日はヤラせてもらいますからね!」
差し迫るそれに藤堂の意志は決まった。ギルフォードの手を取り、ロイドの方へ突進した。狭いそこからの攻撃にロイドは意表をつかれたのか、もろに喰らって吹っ飛ぶ。朝比奈が慌てて追うが、コンパスの長さが違う。再度路地裏の人込みへ紛れようとする藤堂たちを二人が追った。ざっと足音も派手にそれは現れた。
「藤堂先生、逃がしません!」
「チェックメイトだよ、君たち」
そこに現れた二人に藤堂が愕然としてギルフォードはがっくり脱力した。
 「スザクくん…!」
「なぜ…?! 何故殿下までこのような場所においでになられるのですか…?!」
藤堂がじりっと一歩下がる。その分、スザクが一歩進む。後ろから追いついた朝比奈が真っ先に抗議した。
「ちび! なんでお前がいるんだよ?! つうか藤堂さんは渡さない!」
「お前にそんな権利ないだろ! 俺の勝手だ! そして藤堂先生はお前のものじゃない!」
藤堂を挟んだ前後で舌戦が開始した。
「殿下はほんっとーに鼻が利きますねぇ。僕、黙って出てきたんですけどぉ」
「だからこそというべきかな。ギルフォード卿と君の外出記録控えを守衛はすぐに見せてくれたよ」
ギルフォードは二人に挟まれたまま頭を抱えてうずくまってしまった。どちらについても状況に大した変化はない。
 「ギルフォード卿」
頭を抱えたギルフォードに藤堂は静かにささやいた。辺りの地形を手短に説明する。ギルフォードも馬鹿ではない。その意味をすぐさま了承した。
「ちびに藤堂さんの相手が務まるとは思えないな。お前はおとなしく写真でも眺めて爪を噛んでろ!」
「それはこっちの台詞だ! お前なんかで藤堂先生を埋め尽くしてたまるか! 藤堂先生は、俺のものだ!」
「調子乗るなよ、俺だって今必死に拳を制御しているんだぜ? 殴られたくないなら引き下がりな」
「喧嘩なら受けて立つ。こっちだってお前をぶちのめしたいっていつも思ってたんだ」
ぎちぎちと音がしそうなほど二人がにらみ合う。そういえばスザクと朝比奈は、藤堂が道場の師範であった頃から張り合っていたのを藤堂は無為に思い出した。
「殿下、たまには鈍感になりませんかぁ」
「おやどうしてかな? 私のことなど気にもしないくせに」
「だっていっつも殿下の影があって僕のものって感じじゃないんですもん。僕だけのものにしたいのにぃ」
「罪なことだね。美しいものを愛でる権利は誰にでも与えられて当然だろう?」
ギルフォードは次第に二人の意識が言葉の方へ向けられていくのを感じていた。双方が政治的やり取りに長けていて言葉遣いにも隙がない。
 「ギルフォード、散開する!」
「判った!」
藤堂とギルフォードが同時に地を蹴った。二人が互いに正反対の方角へ走る。その後をそれぞれ二人ずつが追った。朝比奈とスザクは小突きあいながら、シュナイゼルとロイドは互いを牽制し合いながらそれぞれの相手を追った。
 「殿下が来るからぁ!」
「私の所為にしないでほしいな。逃げられるのは我々二人の落ち度だろう」
ロイドがヒィヒィ言いながら愚痴をこぼせばシュナイゼルは淡々と応じる。ギルフォードはこの二人をどう振り切ろうかと頭を悩ませた。ロイドは破綻した性格そのままに執拗なうえに諦めるということを知らない。シュナイゼルも手に入らないものなどない階級で育ったせいか、諦めるとか見限るということを必要以上はしない。要するに二人ともがしつこい。ギルフォードは頭痛がする頭を抱えて藤堂に言われた道筋を駆けた。


 「ちび! お前は来なくていいよ!」
「それはこっちの台詞だ、お前こそ来るな!」
スザクと朝比奈は互いを小突きあいながら器用に藤堂の後を追った。藤堂は単衣の裾を乱しながら駆けた。あらわになる大腿部に朝比奈が黄色い声をあげる。
「藤堂さんの脚線美! 横から見たい!」
「穢れた目で藤堂先生を見るな!」
「お前のそういう思考自体穢れてるだろ!」
口喧嘩を繰り返しながらも二人は追及の手を緩めない。藤堂は二人をどう撒くか思案した。朝比奈は軽薄なようでいて執拗だし、スザクも食い付きの良さには侮れないものがある。昔からの二人を藤堂がよく知っているように、二人も藤堂の性質をよく知っている。これはギルフォードの方が相手を撒くのが先かもしれないと藤堂は思った。
 
 結局二人を撒くことができないままギルフォードと落ち合ったがそれは彼の側も同様であったらしく、背後から二人分の人影が見える。大通りでかちあった二人。どうするべきかと思案する藤堂をよそにギルフォードは平然と藤堂と唇を重ねた。
「私の相手はこの藤堂です!」
スザクが卒倒し、朝比奈は目を剥いた。シュナイゼルは呆気にとられ、ロイドに至っては開いた口がふさがらない始末だ。
「ふっざけんな、このブリタニア! 藤堂さんを籠絡しようってのか!」
「誘惑してるのはそっちでしょ?! ギルフォード卿を返してくださいよぅ!」
朝比奈が叫べばロイドが応戦する。お互い相手同士での舌戦が始まった。朝比奈は元より口が達者な性質だし、シュナイゼルは政治的な重要任務を課されるほどの交渉上手だ。ロイドを黙らせてシュナイゼルは交渉へ入った。朝比奈がそれに応じる。互いに目的は藤堂とギルフォードだ。いがみ合うほど無駄はない。互いに承知しているが感情面で折り合いがつかなかった。
 「そちらの管理面での不備はどう釈明するつもりなのだい。誘惑するからにはそれだけの自由があったということだろう」
「テメェの方も無視するなよ。藤堂さんのそれを受けるだけの余地があったってことだろうがよ」
苦々しげだが朝比奈も隙を見せない。シュナイゼルは苦笑して両手を虚空へ差し伸べ肩をすくめた。
「交渉は決裂だ。我々は指を咥えて彼らの営みを見ているしかないのかな」
「そんな馬鹿が通ると思うなよ。藤堂さんは渡さない」
 次第に熱を帯びる舌戦にギルフォードが藤堂の方を見た。
「ど、どうする? 私たちは、どうすれば」
「成り行き任せだな。なるようにしかならない。逃げるのも無駄だしな」
藤堂の方はクックッと笑ってやり取りを見ている。朝比奈は口が巧くどんな相手もやりこめてきた叩き上げだ。対するシュナイゼルも政治的背景をもって言葉の交渉に臨んできた実力者でもある。二人のやりとりは軽妙で本質を露骨にさらすような真似はしない。どこか薄皮に包んだようにはぐらかす。その表現に二人の腕の良さが出ている。
 「こういうのもいいな、たまには」
「…私は胃が痛いですよ」
藤堂は元より日本人らしく言外の意を含んだ腹芸ややり取りに馴染みがある。だがギルフォードは生粋のブリタニア人であり、どちらかと言えば露骨にものを言いあうやり取りしか知らない。
「慣れろ、ギルフォード卿。どうせ血統争いや相続争いはこういった類になるぞ」
「血統を争うほど上等な血筋ではないし、相続でもめるほど潤沢な資産などありませんよ」
藤堂が楽しげに笑った。ギルフォードはそっと体を伸ばして藤堂に口付けた。少しの運動で火照った体の体温は上がっていて重なった唇はほんのりと熱く融けた。
「悪くない、感触だ」
「同感ですよ」
二人は言い争う彼らをよそに唇を重ねた。


《了》

すいません、勝手に受けにしちゃったあの二人☆(待て)
すいませんごめんなさい(平謝り)。こんなのでよければ持ち帰ってください(汗)
受け同士でにゃがにゃがしていれば楽しいなと思いました(私だけだ)
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