清浄なる世界を作ろう
いつか君が、来たときのために
唾棄すべき世界を、清浄に
「…よろしかったのですか」
確かめるような口調のカノンにシュナイゼルはゆっくりと振り向いた。黒の騎士団へゼロの正体を明かした。ひと騒動あることを狙ってシュナイゼルは身を隠す。その道すがらにカノンが問うた。シュナイゼルは気苦労などしたこともないと見える鷹揚な顔立ちで微笑した。その笑みは万人を魅了した。神聖ブリタニア帝国皇帝である父親のような独裁性はなく、物腰も穏やか、それでいて戦術も戦略も緻密に計算し成功させる。その片鱗はチェスの腕前という形で衆目にさらされた。
「いけないことでもしたかな、私は」
「お手を下さずとも内部分裂の要素はありました。わざわざ…」
シュナイゼルの人差し指がツンとカノンの唇をつついた。くすりと笑むシュナイゼルは聖人のように美しい。
くすみのない金髪は練色でその瞳は勿忘草色。全体的に色素が薄く、肌もミルクのように白い。顔立ちは穏やかに整い、害意や不愉快さなど微塵も感じさせない。おおよそ彼を前にして嫌悪感を催す輩はそうそういないだろう。それでいて兄を超越した政治的手腕をも備えている。浮世離れした神聖さでシュナイゼルは言った。
「知らない方がいい。特に君はね。私は私の汚い面を見てほしくはないのだよ」
それを潮にカノンが引きさがり自室へ戻る通路にロイドが待ち受けていた。ロイドも色素が薄い体質で、藤色に色付いた癖っ毛と天藍の瞳をしている。穏やかさを具現化したようなフレームの眼鏡の所為でロイドは奇矯な振る舞いこそするが実害はないと周りに思わせている。
「おや」
「怒ってますねぇ。はらわた、煮えくりかえるってこういうことを言うんですね」
ロイドはいつも唐突に話題を始めたり転じたりする。彼の頭の回転が速い証拠だ。凡夫はそれを奇矯と認識するだけでついてこない。だがシュナイゼルはその真意を読み取れないほど愚鈍でもなかった。
「まったく、あの子は本当に心配と手間ばかりかけるね。どれほど私の心を焦がせばいいのだろう」
「まーさかゼロにやられてたなーんて。洒落になりませーんねー」
間延びした口調でロイドが茶かす。
「だがこれで彼に責任はないことが判って良かったよ。ゼロに心酔していたら厄介だったが…だが」
シュナイゼルの勿忘草色の目が危険に煌めいた。
「ゼロは…ルルーシュは、してはならないことをした」
「代わりなんているでしょーに。でもだめなんですねェ」
「愚問だね。ギルフォードの喪失には喪失でもって贖ってもらうよ」
知り得た情報はパズルのように嵌まりシュナイゼルの疑問や不具合を解消した。ギルフォードが寝返ったのも、スザクがフレイヤという大量破壊兵器を使用するに至る経緯も。
「まずは罪の重さを仲間たちの手で自覚してもらおう。周りすべてが寝返るんだ。どう切り抜けるかは彼次第だよ。生き延びてもまだ手はあるし、ここで死ぬならそれまでということだ」
スザクがフレイヤを使用した最大要因はルルーシュが得たギアスという能力によるものだった。ギルフォードが寝返ったのもギアスにかけられたせいだと判った。そしてルルーシュはギルフォードを放逐せず、戦力としてあの場に連れてきた。
「逃れ出るためにギルフォードにギアスをかけただけなら許そう。だが、彼はあの戦局へギルフォード卿を連れてきた。それが、結果的に――」
ギルフォードの死を、招いた
口元を覆うシュナイゼルの眉がひそめられた。何かをこらえるようなそれにロイドは目を向けたが何も言わなかった。
シュナイゼルがここまで執着を見せるのも珍しいし、物腰通りに穏やかさが売りの彼がなりふり構わず復讐の手段に打って出るのも珍しかった。ロイド自身もギルフォードの裏切りと戦死は予想外であったし憤りもした。何度か体を交わせば情もうつる。
――慣れ、の違い
ロイドはナイトメアフレームと言う戦闘機を無邪気に愛し、制作し続けている。もちろん戦闘に出てすべての機体が無事にすむわけではないし、持てる技術を注ぎこんだ機体がお釈迦になるのも何度も見てきた。つまり、ロイドは喪失という現象に対していくばくかの免疫があるということだ。だがシュナイゼルは違う。皇位継承権も高位に持ち、幼い頃から何くれとなく、不自由もなく暮らしてきている。どんな女だってシュナイゼルに乞われれば同衾するだろう。そう言う意味でシュナイゼルは思うままにならなかったり、まして駒を失うなどという経験はあまりしていないだろう。その慣れの違いがシュナイゼルとロイドとの冷静さを別った。
「怒りは勢いがあるけど確実性がありませんよぅ」
「おや、愛弟に裏切られた私に冷静になれと君は言うのかい? 結構な無体を言うね」
「そっちはどうでもいいですけどね、ギルフォード卿を見つけた途端に犯すのはやめてくださいね、僕だって抱きたいんだから」
シュナイゼルは大きく息をついて天を仰いだ。そうするとまるで祈りをささげる聖職者のようだ。シュナイゼルの容貌がそんな錯覚を抱かせる。実際の彼は聖職者など卒倒しそうな行いを平気でする。
「それこそ無体だよ。あぁ、彼がこんなにも恋しいなんて思わなかったよ。一人寝の夜も女性といても、体に空いた空隙は埋まらない。悲しすぎると涙も出ないとはこのことを言うのだね」
言いながらシュナイゼルは肩を震わせて笑っている。この世のすべてが楽しいとでも言いたげに声をあげ肩を揺らしてシュナイゼルは哂っていた。
「駒は手に入れた。舞台も整った。始めよう、ルルーシュ…!」
シュナイゼルの目がくすりと天井を映して笑んだ。勿忘草の色をした、瞳。
「私の喪失と同等の痛みを、君に。赦されると思っているかな、そんなこと――神が赦しても私が赦しはしない」
ロイドはぞっとした。シュナイゼルは哂いながら泣き、泣きながら哂っていた。初めて知る、根底が覆るような喪失感に静かに密やかに、狂っていく。静かなる狂気は争いを呼んだ。今頃シュナイゼルが爆弾を落としてきた黒の騎士団の混乱を想う。率いていたものが敵対国の皇子であるとそれだけで、感情的に離反行動をとりたくなる。その混乱を思うとロイドは彼らに同情した。
「ギルフォード卿…」
彼はこの美しき狂気の抑止剤であったとロイドは身をもって知った。シュナイゼルをとどめるものなどもういない。彼の暴挙も妄執も何もかもが決壊したダムのごとく、土石流のごとく流れていくのだ。抑止剤は、あぁ、喪われてしまった。
「殿下、僕のこと巻きこまないでくださいよォ」
だが。
ロイドはにやにやと笑った。これこそが求めていたものだ。美しい狂気に科学者は歓喜した。
――さぁ行こう。その狂気のもとに狂気のために。
「おや、君は首を突っ込んでくるかと思ったんだけれど」
「僕は設備のいい方へつくんでぇす」
シュナイゼルが足を止めた。豪奢な扉を開き部屋へ入っていく。その背にロイドはへらりと笑って手を振った。ルルーシュは確かに捨てられた皇子だったかもしれない。だが、シュナイゼルは狂気の皇子にならんとしている。ギルフォード卿と言う一貴族の一指揮官を喪った、ただそれだけで。復讐に燃えた皇子はさらなる復讐を呼んだ。
「あーこわいこわいー」
ロイドはおどけたように肩を抱いて笑った。もうロイドの軽口やシュナイゼルの軽挙を諫める者はいないのだ。ロイドの細い背中は待っていた。いつかまたきっと、あの尖った硬質な声がロイドの軽口を諫める日が来るのを。
「ロイド伯爵、お言葉が過ぎます」
そう言ってロイドをたしなめる彼の薄氷色の瞳も引き結ばれた紅い唇もこんなにも覚えているというのに。
「あぁー僕のところに化けて出てくれないかなぁ。ユウレイって抱けるんだっけ?」
ロイドの壊れた笑い声が整った通路のこだました。
シュナイゼルはどさりと膝をついた。ロイドの前でこそ気丈に振る舞ったがその実卒倒しそうだった。
「ギルフォード卿」
哀しすぎると涙も出ないというそれを実感した。猫のような気まぐれを生まれの良さゆえに黙認されてきたシュナイゼルにとってギルフォードの存在は新鮮であり愛しかった。妹の騎士という視点が次第に情夫へと変わりゆくのには驚いたがそれもまた当然である気がした。ギルフォードは禁欲的でありながら蠱惑的に笑む。彼がコーネリアを抱くのかと思えば内臓が引き裂かれるような灼かれるような感覚に身悶えた。それが嫉妬であると気づいたのはずいぶん後になってからだった。そのころギルフォードはすでにシュナイゼルに抱かれる身になっていた。
「ははは…君のために涙することもできないなんて。薄情だと、君は怒るかな」
泣くだけが追悼ではない。仇を討つだけが偲ぶことではない。だからこれは、自分勝手な復讐なのだ。死者に理由を求めるような気概のない男ではないとシュナイゼルは自負している。君はそこから見ていればいい。その遥か天空から、マグマの眠る地底から、はたまた今を生きる私のそばで。私の勝手な復讐劇を、見ればいい。
「始まりは同時に終わりでもある。その逆もまた然り。ルルーシュ」
シュナイゼルは美しく美しく微笑んだ。その美しさは世界が終ってしまうかのように破滅的で、それゆえの美しさ。
「終わらせよう、私が失うものなどもう――なにもないのだから」
だからこわくない
なにもこわくなんかない
わたしのものをこわしたおまえを
わたしのものをころしたおまえを
ゆるしてなんかやらない!
練色の髪と勿忘草色の瞳をした少年が独りで泣き叫んでいた。
《了》