赦して、ください


   夢のような関係

 用のない人間は出入りしない奥まった廊下を藤堂はひとり歩いていた。どこへでもついてくる朝比奈を撒いて一人になった。黒の騎士団を率いるゼロが直々に二人きりになりたいと藤堂の耳元へ囁いたのはしばらく前のことだ。数度にわたり囚われの身へ堕ちた藤堂をゼロはそのたび緻密な戦略をもって助け出してきた。足音が硬質に響く。ゼロの囁きは絶対で、藤堂に苦い思い出を喚起させた。かつてその身を預けた枢木ゲンブの囁きと夜伽もまた絶対だった。下される命に従うのは自身の意志であるべきだったがゲンブに抱かれ始めてからその色合いが微妙に変わり始めた。報告のついでのように藤堂を喘がせ、ゲンブはぞんざいにすら藤堂を扱った。藤堂の何が彼らの琴線に触れたのかは判らない。けれど団体の高位に属する者ほど藤堂との交渉を望んだ。今もそれは変わらないらしく、藤堂はこうして乞われて統率者のもとへ向かっている。
 怪訝そうな朝比奈の横顔を最後に横道へ外れ、大周りをしてから部屋へ向かう。朝比奈はあれで鼻が利く性質だ。藤堂が姿をくらませる原因も気づいているかもしれない。誰かに会ったり問われたりすれば正直にゼロに呼ばれていると答えるつもりだった。事実、そうなのだし口止めもされていない。真新しい団服はまだ肌に馴染まず気ぐるみでも着ているような気がした。襟や腰を守るかのように布地がつつみ上衣の裾も長い。襟は着物の袷を思い出させるように交差し、皮膚を守っている。朝比奈が脱がせにくいとぼやいていた。首を傾げる藤堂に、朝比奈はさらにガードを固めすぎですと不満げに漏らした。
 運がいいのか悪いのか誰にも出会わず部屋の前へたどり着いた。控えめにノックするとヴォイスチェンジャーを通した独特の声が誰何した。
「藤堂だ」
「カギは開いてる」
取っ手をひねって扉を開ける。目線はむやみに取っ手を持つ自身の手へそそがれた。身を潜めるために居ついている場所だ、凝った作りのものではない。それでも鍵の付いたその取っ手の真意を探ろうとする自身に気づいて藤堂は自嘲した。鍵付きの扉はそれだけで人を惹きつける。鍵の持つ秘密主義が好奇心を刺激する。同時に自身の秘密を守る堅牢な檻を意識せずにはいられない。
 扉を閉めた藤堂のもとへゼロは歩み寄っていた。指先は自然に伸びて鍵を閉める。派手な黄緑色の髪をなびかせる少女は不在のようだ。いいのかと目線で問う藤堂に気づかないかのようにゼロは仮面を取り外した。目元までを覆う布を指先で引っかけ、首元まで下げる。
「待っていたぞ、藤堂」
「用があるならみんなの前で言ってくれ。秘密主義はいつか疑念を呼ぶ」
「ほう、大っぴらに奇跡の藤堂をかまいたいと言っていいと?」
部屋の中心に設えられたソファへルルーシュは身を沈めた。成長の過渡期にある体はまだ手脚がむやみに長い。胴まわりはほっそりとしているが女性のようなくびれはない。彼が立派な男性であることを示している。体躯は痩身で華奢だが女性的なそれとは微妙に違う。かつて弟子の一人であったスザクと似ているが彼より華奢かもしれないと藤堂はぼんやり思った。元々がいいのか、骨格は綺麗でバランスもいい。
 「キスのひとつもしたい、それが用事だ。断るか、藤堂」
大仰な身振りで話すルルーシュは美貌だ。低位ながら皇位継承権を持つ皇子でもある。その彼がなぜ母国ブリタニアに反旗を翻したのか藤堂は知らない。知る必要性も必然性も感じなかった。人にはそれぞれ言えない秘密や過去の一つや二つ持っていると知っている程度に藤堂は年を食っている。藤堂だって黒の騎士団に属しているがそのすべてをさらしているわけではないしさらす気もない。
 しばらく顔を合わせないうちにルルーシュの顔立ちが変わっているような気がした。藤堂が囚われている間彼はどうしていたのだろうか。あの最終局面で突然離脱した彼を責める気は疾うに失せていた。切実な事情という理由は時として不意に襲いかかってくるものだ。ルルーシュは無為に言葉を紡ぐ。言葉遊びのようなそれを藤堂は黙って聞いた。艶やかな濡れ羽色の黒髪と宝玉を嵌めこんだかのような紫苑の瞳。時折、癖のように左目を覆うように手を持っていく。紫苑に濡れるその瞳に何事か秘め事でもあるのだろうかと藤堂は勘繰った。同時に自身を戒める。勘繰りは無用であり今彼がここにいることが肝要なのだ。
 「藤堂?」
黙って動かない藤堂を怪訝そうにルルーシュが見上げた。固そうな鳶色の髪と灰蒼の瞳。瞳の色合いは灰色とも蒼色ともいえず折り合いをなした稀有な色合いだ。絵の具のマーブル模様の後に見えてくる灰蒼とは微妙に違う。その色合いはきっと最初からこのままなのだという無意味な確信があった。宝石というより鉱石にありそうな色具合でその眼差しはどこまでも無垢。
 この眼差しの前にはどんな誤魔化しも無意味だった。言葉が上っ面を滑り、何の影響も及ぼさない。効果がない。彼を慕う四聖剣の面々や人々はきっとこの稀有な瞳に魅了されるのだ。色合いだけでなくその内容まで稀有だ。いまどき珍しく古風な信条を貫きとおす彼は孤高で、それ故に人々を魅了する。簡単に手に入るものに抱く興味など風のように失せていく。手に入り難いものにこそ人々は心惹かれるのだ。
「座れ、藤堂。それとも俺を殴って出ていくか? 奇跡の藤堂の唇はそれほどまでに高価か?」
ソファの隣を指し示すルルーシュに藤堂がふぅッと嘆息した。気高い獣の鋭さが消え穏やかに微笑する顔がそこにあった。それは、彼の瞳の色合いのように稀有な。

「誰かに頼りたいときやすがりたいときには、素直にそう言うものだ。判ってもらおうなどと努力を怠ってはいい結果は得られない。人は推し量ることは出来ても確信することはできない」

ルルーシュの瞳が収束する。見開かれていく瞳を藤堂は予想していたかのように黙して見つめる。肌は石膏の白さを帯び唇だけが奇妙に紅かった。その紅い唇が何か言いたげにわななく。けれど悲鳴すら漏れずルルーシュは無為にマントの裾をさばいて立ち上がった。立ち上がってなお、藤堂の方が背丈がある。穏やかに見下ろしてくる藤堂の問いかけるような視線にルルーシュは焦がれる思いを感じた。スザクや朝比奈、ディートハルトが執着する理由が判ったような気がした。こんなに無垢に、無防備に信頼を得たかのように見つめられては一巻の終わりだ。それはまるで方位磁石を狂わせる強力な磁力のようだ。問答無用に気づいたものは魅せられる。
 「と、うどう」
ルルーシュの唇が震えてそれだけを呟いた。藤堂は黙ってそれを受ける。返事を必要としないそれを無下に扱うこともなくルルーシュを愛しげに見つめてくる。
「判ってくれるというのは理想論だ。人心に期待や失望を求めてはいけない」
藤堂はそれだけ言うとくるりと踵を返した。立ち去ろうとするその体へルルーシュは全身全霊でぶつかった。抱き締める胴まわりはすっきりとしている。
 「共に、いてくれ。利害の関係ない関係が欲しいんだ…だから、ともにいてくれ。おまえがいい。お前がいいんだ、藤堂」
藤堂は幼子をあやすようにルルーシュの黒髪を梳いた。時に鋭く周りを威圧する灰蒼の目は困ったように笑んでいる。けれどその髪を梳く指先や灰蒼の瞳からはルルーシュを厭う気配は感じられなかった。
「後悔するかもしれないぞ。なにせ、反逆するイレヴンの筆頭にあげられるのだからな」
拘束されている間も藤堂は奇跡の藤堂として名が売れていることを体で感じさせられた。彼らの憎悪は無名な朝比奈や玉城より名をはせ顔も売れた藤堂へ向けられた。
「なんの企みも請求もない関係が欲しいんだ…ともに、いてくれるだけでいい。俺がいるだけで笑ってくれるような、そんな人が、欲しか、った…!」
藤堂に抱きつく腕がかすかに震えた。緻密で質のいい戦略をあみだす頭脳を持ちながら、その敏さゆえに屈するを許さず。周囲の真意すら暴き立てる優秀さは時に残酷だ。
 「ルルーシュ」
彼の名を呼ぶ。ルルーシュはその美貌をあげて藤堂に微笑した。頬を濡らす涙の跡を隠そうともせずしゃくりあげる。白皙の美貌と紅い唇。紫苑の瞳と上品な短さに整えられた黒髪。
「…鏡志朗」
「…なんだか、違和感があるな」
クックッと藤堂がこらえきれずに笑んだ。楽しげなそれにルルーシュの重荷が失せる。幼いころスザクから聞きかじった通りの人柄にルルーシュは安堵する。厳しいけれど、誰よりも優しいとスザクは藤堂を評した。その優しさの意味をルルーシュはじかに感じていた。上辺や一時だけではない優しさ。この後も付き合うと決めて向き合ってくれる大人の優しさをスザクは見抜いていた。その優しさを肌で感じる。抱き締める体躯は引き締まり無駄など一欠片もない。団服の上からでも指先を這わせれば鍛えられた筋肉のありようが判る。
 藤堂がルルーシュの腕を解いて向き直る。あぁ気高く厳しく、それ故に優しい瞳。ルルーシュの瞳が潤んで震えた。涙が後から後からあふれてくる。しゃくりあげることもなく黙って涙するルルーシュを藤堂は抱いた。その抱擁は優しく甘く、慈愛に満ちていた。守り導く決意の感じ取れる抱擁。藤堂はきっとスザクや朝比奈をもこの抱擁で包み込んだのだ。それゆえ彼らは囚われ恋した。
「藤堂、もっと進みたい。先の先へ――お前を、抱きたい」
「私みたいな輩を抱いて何が楽しい?」
心底不思議そうな藤堂にルルーシュは痩身をよじって爆笑した。
「裏切りもまた愛だ。そうは思わないか、藤堂」
「思いたい気も、するが」
裏切りが誰を指し示すのか文脈で悟れない藤堂ではない。あえて名前をぼかすルルーシュにそって藤堂は結論のみを言った。
「愛しいが故に愛しい人を裏切る…深い業だ」
力を。愛しい人を守れるだけの力を。その力を欲するが故に愛しき人を裏切ろうとも。
 「深い業であるが故に、人は人を欲するのだろうか――」
問いかけるような言葉にルルーシュは笑んだ。自嘲するようなそれへの返事のすべを持たない藤堂は沈黙でもって返答した。
「誰もが望むのはきっと、簡単なことだ。簡単であるがゆえにこなしたり行ったりするのは難しいのだろう…容易にみえるものほど奥が深く難解だ」
ルルーシュがふっと笑んだ。藤堂は不思議そうな、それでいて変わらない表情でルルーシュを見下ろす。
「平和を勝ち取るために刀を握る矛盾をどうする、藤堂。平和とはなんだ。平和のために争いや諍いを起こす自身をどう見る、藤堂?」
「平和とは存在しうるものに非ず。守ってこそ在るものだ――」
ゆるぎなき心。言葉遊びのようなそれにも藤堂は明確に返事をした。その決意は固く。揺るがないそれにルルーシュは安堵したかのように微笑した。あぁこの確かさを求めるのだ。
「想像したとおりだ、藤堂。だから俺はお前を手放せない」
そう。だからこそ。お前を手中に。幾度奪われ囚われようとも取り返す。お前の信念が、お前がそこに在るだけで。
「もう一度、名を呼んでくれ。ルルーシュと、呼んで、くれ…」
 「ルルーシュ」
流転の皇子の名を藤堂は無感動に紡いだ。駒のように扱われ皇帝の無関心に慣らされてきた傷を負った皇子。妹の視界と両脚の自由を奪われながら、ただ。守るために戦う。スザクの良き友となってくれたのだろう皇子の名を藤堂は紡いだ。スザクの鬱積した何かを気付きながら止められずそれは父親殺しという最悪の形で表面化した。共にあれば、きっと共にあればスザクを救ってくれただろう名を藤堂は紡ぐ。それは贖罪にも似た。あの時なぜ私はスザクを父親と差し向かいにさせてしまったのだろうかという後悔は無為でしかなく、無力感を味わうだけだった。贖いを求めるスザクの存在は藤堂の罪。スザクが自身に課した罪悪を同時に藤堂は背負うと決めた。
 「ルルーシュ…」
そしてまた父親を倒さんとする少年に藤堂は尽力しているのだ。其は汝が罪。父親殺しという罪をまた背負う。血濡れの部屋で膝を抱えて丸まっていた少年の孤独に藤堂は屈した。彼に伸ばしてやれなかった分だけ藤堂はルルーシュを抱きしめる。その抱擁にルルーシュは歓喜で応えた。これほどまでに抱擁を欲していたことに気づけていない自身が不甲斐ないと藤堂は自責の念を負った。
「藤堂…鏡志朗、きょう、しろ、う…!」
愛おしいその名を呼ぶ。それだけで救われるような贖えるような気がした。汝が背負う罪とは。
 「ルルーシュ…」
あぁ其は汝が罪なり。罪業のもとに合わせる唇は境界を融かし曖昧にした。その熱はただ心地よく。罪深きゆえに明確な快楽となりえた。
「きょう、し、ろう…!」
ルルーシュが体を反転させると同時にソファの上へ藤堂を押し倒す。遠心力を使った微妙な技に藤堂は翻弄された。されるがままになりながら、これが彼のためになるならと逃げ道を打つ。
「結局、こうなるのか」
「不満か?」
ルルーシュは無邪気に笑んだ。美貌のそれはただ美しく。幼さゆえに許される傲慢さを満たした笑みでルルーシュは笑んだ。ゼロの衣装の裾をさばいて藤堂を抱きしめる。
「きょうしろう」
ただ紡がれるその響きに安堵する。あぁ好いてくれる人愛してくれる人――赦してくれる人。
「鏡志朗…!」
それを恋というのか愛というのかただの執着なのか、そんなことすらどうでもいいことに思える。すべての罪を受け入れ赦してくれる人。どれだけの人を犠牲にして己が成り立っているかを、思い起こさせながら一瞬忘れさせてくれる人。あぁ、あなたのために、俺は。あなたがいれくれるから、俺は。
 「はは…おまえは、本当に、ほんとに…」
ぼとぼとと涙が落ちた。落ちた雫が藤堂の頬や首や目蓋に落ちて弾けた。弾けるルルーシュの涙を痛いような顔をして藤堂は受け止めた。
「俺を惹きとめるんだ――俺は、俺は!」

狂わずにいられるんだ

自我を保ち自信を持つのは存外力が要ることなのだと思い知った。それらすべてを赦し助けてくれるのが。

藤堂鏡志朗

「お前の、所為だ――」

俺が狂わず世界を壊そうとすることすらおまえは赦してくれた。あぁ其は汝が罪なり。反逆者の助けとなりて祖国を守りたいとお前は。
「私は私の罪を背負って逝く――君が責任を感じる必要は、無い」
あぁこの孤独さ。連帯性すら許されないそれに焦がれる。恋い焦がれる俺を知っているか、藤堂鏡志朗?
 「あ、あぁ、あぁ――!」
祖国へ、母国へ刃を向ける。その決意をした時に覚悟したはずだった。それでもなお藤堂はルルーシュを赦してくれた。西洋の預言者にも似た寛容さで藤堂はルルーシュを受け入れ赦した。その行いすら罪業すらも。そして従うと言ってくれた。それは何よりも、あぁ何よりも――嬉しい。
「と、うど…きょうしろ、う――! お前は、お前は――」
泣き声にむせびながら真意を問うルルーシュに藤堂は微笑した。
 「ゼロとともに。黒の騎士団と四聖剣はゼロとともに」
ルルーシュは美しく微笑した。泣きながら、涙しながらその様は美しく。濡れた紫苑の瞳に灰蒼の瞳が応えた。

あぁ、幸福はここに在る――

重ねた体はか細く、鍛えられていて心地よかった。慣れた仕草も気にならず、ただ愛しさが。言葉は不要だった。ただ、重ねる体温だけが何もかもを雄弁に語り応えた。それらがすべて、だった。


《了》

終わりが見えなかった(馬鹿☆)
誤字脱字チェックしてるのにあるのは何故だ…
ルルと藤堂さんはお互いを補い合う関係だと萌え(超個人的趣味)
BGMはアリプ○の『愛と○』でした。(笑)聞きながら読むと雰囲気出たりして…(笑)             07/20/2008UP

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