傷つけ傷つけられて
 それでも私はあなたを愛している


   痛みすら呑み込んで

 幾人もの男が通い詰めた。それは鬱憤のはけ口を求めた一般兵であったり物見高い上級兵士であったりした。そこには皇帝直属部隊に昇格した枢木スザクも含まれた。藤堂はすべてを享受した。受ける暴力の種類は多岐にわたり、浴びせられるのは罵詈雑言だけではなかった。それでも藤堂は言葉を漏らすこともまして泣くことなどもなく当たり前のようにそれらを受けた。朝比奈はできうる限り藤堂を擁護しようとしたがしょせん囚われの身だ。暴力の注意を引きつけるような行為しかできないもどかしさに、朝比奈は自分と外界とを隔てる檻を力いっぱい蹴り飛ばした。藤堂が個室へ連れ込まれた後には牢の内部で力いっぱい暴れて獄卒の注意を否応なしに自身に仕向ける。そうして兵士が自分を取り押さえている間だけは藤堂には何の被害もないのだと、それだけを想って朝比奈が制止と暴力を受けた。
 毎度のように繰り返されるその関連性にブリタニア兵が気付かないわけもなく、果たしてそれらは最悪の嫌がらせへと進化した。マジックミラーのついた部屋へぶち込まれた朝比奈を待っていたのは黙して暴力を受ける藤堂の姿だった。
「敬愛する上官が犯されているのを見る気分はどうだ? 感想でもあるならいってみろよ」
ぎしぃっと朝比奈の両腕を後ろ手に拘束する衣服が軋んだ。射殺しそうな視線で朝比奈は兵士を睨む。朝比奈は藤堂に対して尊敬の念と同時に慕情も抱いている。思春期の青少年ではあるまいし、双方立派な大人だ。体の交渉だって何度か持っている。熱の交わりは朝比奈の想いをより強固にした。そこをピンポイントで逆撫でしてくる嫌がらせに朝比奈は憎悪の念すら抱いた。
「てめぇら、ふざけんなよ!」
朝比奈の脚が兵士の隙をついて足払いをかけた。バランスを崩すそこの腹部へ膝を合わせて圧し掛かってやる。鳩尾を直撃するその激痛と嘔吐感に兵士はうめいた。だが朝比奈が実行できたのはそこまでで別の手が伸びて朝比奈の髪を鷲掴んでマジックミラーへ顔を押し付けた。
「よく見とけよ、あの世でオカズにするといい」
足払いを食らった兵士が唾を吐きかけて朝比奈の体を殴打した。同じように鳩尾を直撃した衝撃に朝比奈は吐瀉した。もっとも必要最低限の食事しか与えられていない状態で胃の内容物などあるわけもなく、喉を灼く胃液をむやみに吐いた。
 「そら、向こうさんも終わったみたいだぜ」
朝比奈は引きずり立たされて牢へぶち込まれた。その際に藤堂と刹那の接触があった。牢は一本道に連なる形で配置されているため、出入りする者はすれ違ったり同行したりする。無理やり抱かれていたとは思えない凛としたその雰囲気に朝比奈は心から安堵した。殴打の痕も著しい朝比奈の様子に藤堂が心配そうな目線を向け、朝比奈はそれにへらりと笑って答えた。


 「鏡志朗、君たちの処刑日が決まったよ」
スザクは身支度を整えながらなんでもないように言い放った。いつか来るだろうと予期していた所為か藤堂の中に驚きはなかった。テロリストである以上、矯正が不可能ならば消されるだけだ。脚の間の白濁を疎ましく思いながら藤堂はかつての弟子を見上げた。スザクは不意に訪れては藤堂を連れだし抱いた。ラウンズであるスザクの権限は絶大で何より優先的に個室があてがわれた。スザクはいつものように藤堂の体の後始末を淡々とこなした。
「拷問…は受けているか。処刑とは性急だな」
「…あなたは、おびえたりひるんだりしないな」
スザクが皮肉げに口元を歪めて笑った。藤堂を抱くようになってからスザクはかつて藤堂を呼んだようには呼ばなくなっていた。鏡志朗、と下の名前を呼び捨てる。敬語も使わない。意識的にそうしているとしか思えないそれらを藤堂は訊いたりしなかった。
 「ゼロとの交渉チャンネルの関係だよ。ギルフォード卿の管轄だ」
藤堂の身支度を終えるとスザクは仕上げのように手袋をはめた。クッと口元を歪める。明朗快活であった幼いスザクからは想像もできない笑い方に藤堂はどうしようもない隔たりを感じた。時の流れは容赦なく、純粋無垢であった幼子をしたたかな青年へと成長させていた。
「俺だったらあなただけは取っておいて一生飼い殺すよ。逃がさない。死という逃げ道すら許す気はないよ」
藤堂は灰蒼の目を眇めた。かつてのスザクにはない執拗性は、守るべき皇女を失ったあの刹那に芽生えたのだろうか。守ることも壊すことも正反対のようでいて対象に固執するという点では同質だ。期待を抱かせ惨状を生み出した皇女をスザクは守ると誓っていたのだ。
 「あなたの啼き声もこれが最後かな。喘ぐ鏡志朗は綺麗だったよ」
スザクは人懐っこく笑うと屈みこんで床に倒れ伏したままの藤堂と唇を重ねた。瑞々しくふくよかな唇はその感触だけなら心地よい。問題はその言外に含まれた意だ。スザクは何度もすがるようにして藤堂を抱いた。その切実さは現実味を帯びていて藤堂も拒否しきれなかった。敵方となったスザクに容赦など無用のはずなのに藤堂はその姿勢を貫けずにいた。どんな男に抱かれても動じない体の深部はスザクに抱かれた時だけ鳴動した。その差異は藤堂を戸惑わせ、自意識のありかを不明瞭にした。藤堂はスザクと顔を合わせるたびにあるべき何かを失っていくような気がした。男に抱かれるのは初めてではない。スザクの父である枢木ゲンブとすら交渉を持っていた。それはもう何年も前の話だ。その頃から忌むべきこの体は男に抱かれ慣れていた。けれどそれゆえに意識のポイントをスライドさせるコツも心得ていた。だから藤堂はどんな男や兵士に抱かれても自意識を失わずにすんでいたし、彼らの何かが藤堂に影響することもなかった。けれどスザクだけは違った。スザクの唇や声が藤堂の下の名を呼び、指先や舌先が皮膚を這うたびに藤堂の堰が幾度となく決壊した。その理由は藤堂自身にも解らない。
 スザクに抱かれるたびに、自身を好いてくれる朝比奈を思い出した。丸い眼鏡と眉の上から走る傷跡。暗緑色の髪と瞳はいつだって人懐っこくあたりをにぎわせ、藤堂の名を愛しげに呼んだ。
「鏡志朗」
藤堂の思考を遮るようにスザクが名を呼んだ。
「あなたは結局、俺を救ってはくれなかった」
ざくりと音を立てて刃が突き刺さったような気がした。


 処刑当日、ゼロは予告通りに出現し、精緻な計画のもと囚われの身だった藤堂たちを救出した。救出されて黒の騎士団は勢いを取り戻したかのように再会を言祝いだ。抱きついたり飛びついたりする彼らを見て藤堂は微笑する。怪我の大小はあるものの致命的な傷を負ったものはなく、良好と言っていいだろう。
「とーどーさぁん!」
底抜けたような明るい声に目を向ければ朝比奈がいつもの笑顔でそこにいた。それだけで戻ってくる日常に藤堂は安堵する。朝比奈は藤堂に抱きつくとぺたぺたと手を這わせた。
「大丈夫ですか? なんかひどいこととかされてませんか?」
「心配ない、大丈夫だ」
安堵と安定を得て藤堂の思考は外へ向いた。今は遠く彼方に見える処刑場となった場所。スザクの言った言葉がずっと藤堂の中に引っ掛かっていた。喉に刺さった小骨はひそやかに皮膚を裂く。秘して広がる傷跡のじくじくとした痛みは意識の根底に残り違和感を覚えさせる。
 「藤堂さん?」
「…私は結局スザクくんには何もできなかった。救ってやることも、何も。それどころか、きっとこれは裏切りに値するのだろうな…」
朝比奈の手がすっと退かれる。目線を向ければ暗緑色の瞳が冷たく藤堂を見返した。無機的なそれはあえて野卑に振る舞うスザクを思い出させた。
「藤堂さん、歯ぁ食いしばってください」
予告の後に痛烈な平手が藤堂の頬に命中した。ざわめく周りを制して藤堂は朝比奈を物陰へ連れ込んだ。せっかく固まりかけた結束を私的な理由で崩すわけにはいかない。
 「朝比奈?」
朝比奈は軽薄に振る舞ってこそいるがその実かなりの実力者であることを知っている。思慮深く敏捷で大胆でもある彼が手をあげることは意外に少ない。その朝比奈の平手に通常にはない何かを感じ取った藤堂が問うた。
「あんなチビのこと、忘れてください。あいつは、皇帝直属部隊に配属されたんでしょう」
「スザクくんのことか」
「呼ばないでください! あいつは、藤堂さんを…犯したじゃないですか! 許すとか許されないとか、子供だからとかそうじゃないからだとか未熟だからとか、そんなの関係ないですよ! あいつがしでかしたのはそういうことなんです! あいつは後戻りできない道を選んだ。それだけでしょう! 藤堂さんが救ってやる必要なんかない! まして、裏切るとかそうじゃないとかそんな話じゃない!」
すべての暴力を享受する藤堂を前にしてなお何もできなかった無力感が朝比奈を雄弁にした。藤堂のことを無理やりに責めていると判っている。傷つけていると判っている。それでもなお、言葉や感情の発露は堰を切ったようにあふれ出た。
 「あんな、あんな奴のことなんか気にしないでください! 藤堂さんが囚われであるのをいいことに、何度も何度も抱きに来たじゃないですか! オレ達が何にも知らないと思ってるんですか?! 藤堂さんに振るわれた暴力の種類だってあげられますよ!」
「朝比奈」
「そんなこと言わないでください、オレだって、オレだって藤堂さんに何もできなかったんだ! オレだって藤堂さんを守りたかったんだ、救いたいんだ!」
叫ぶ朝比奈の目がみるみる潤んだ。嗚咽が漏れる。自身の不甲斐なさが処刑回避によってさらに現実味を帯びた。朝比奈の暗緑色の瞳は涙に濡れて横隔膜が痙攣をおこす。こうなると意識的な制御など不可能だ。朝比奈は泣きじゃくりながら藤堂にすがりつくように抱きついた。
 「あなたが」
朝比奈の爪が藤堂の皮膚を裂いた。にじみ出る紅い体液と別離している痛みの感覚に藤堂は戸惑った。
「あなたがいろんな奴から暴力を受けている間はオレだって痛かったんだ――」
あぁ、無力感という名のそれはそれだけにとどまらず。君のためなら何だってかまわない、あなたのためなら何だってできる、それらは理想論でしかない。鋼鉄の檻の内部で噛みしめる無力感と焦燥、罪悪感。
「なのに、あなたは――なんでもない、なんでもないっていうから」

それは痛みを分かち合うに値しないということなのですか。
しょせん、与えられた痛みなど理解できないということなのですか。
そんなに、そんなに――頼りないですか信頼できませんか。

 「…私は単に心配をする必要はないという意味で」
「ほら、そうやってなんでも抱え込んじゃうんだ」
朝比奈の指摘に藤堂がぐぅと言葉に詰まった。藤堂が心配事や懸念を抱え込んでしまう性質なのは今に始まったことではない。朝比奈は藤堂の胸に顔を伏せた。あふれる涙が拘束服を濡らす。
「…私は、どうすればいいというんだ」
投げやりにも聞こえる藤堂の言葉に朝比奈は目を瞬かせた。藤堂が自棄になるなど珍しい。妥協も迂回も許さないその信念のありように朝比奈は魅了されてきたのだ。
「私だって周りに心配など掛けたくはない。だから心配するに及ばずというんだ。それを責められたら私は――どうしたらいいか判らない」
心底困ったような藤堂の表情に朝比奈が破顔した。
「だから藤堂さんって大好きなんです」
にぃっとつり上がる口の端と無邪気な笑みに藤堂の方が目を瞬かせた。藤堂は困ったように鳶色の髪をバリバリと掻いた。灰蒼の瞳が朝比奈を映し出す。藤堂は困ったように朝比奈を抱き寄せると唇を乗せた。
 「…これ以上は、言葉がない」
目元を赤らめて言う藤堂に朝比奈は下からにぃっと笑い見上げた。
「オレ、今夜空けときます。…慰めてくれますよね?」
「…判った」
浮かれた足取りで一行のもとへ戻る朝比奈に苦笑しながら藤堂は取り戻した日常に安堵する。
 「痴話喧嘩は終わったか?」
ヴォイスチェンジャーを通したような声に振り向けば小柄な体躯のゼロがいた。
「ゼロ。すまなかった、今回はいろいろと面倒をかけて」
「まったくだな」
苦笑しているらしい気配に藤堂も相好を崩す。ゼロが不意に藤堂のもとへ歩み寄った。
 「目をつむれ、藤堂」
藤堂は従順にそれに従い目蓋を閉じた。現れる闇。そこにふぅわりと触れるやわいそれは。目を開けばゼロはもうその仮面を嵌めているところだった。
「ゼロ?」
「助けだした礼くらいもらってもかまわないだろう? 奇跡の藤堂の唇の一つや二つ、気にするな」
言われて口づけられたことが明確になった。藤堂の顔がかぁっと赤らむ。恥じるように目元を紅く染める藤堂にゼロは仮面の奥で微笑した。
 「変わっていないな、藤堂。だがきっとそれが、救いになるのだろうな」
目の覚めるようなその言葉に藤堂は言葉を失った。ゼロはそんな藤堂を揶揄するかのように眺めている。
「変わらずにいることが、救いだと?」
「愛する者を守りたいと思うのは自然な動機と行為だろう。愛する者にとって最善の手段を取りたいと思うことさえな、それが人の情というものではないか?」
呆然とする藤堂にゼロは言葉遊びのように問いを突き付けた。
「奇跡の藤堂、お前が愛する者は誰だ。枢木スザクか、朝比奈省吾か?」
藤堂はふっと自嘲した。痛むようなその微笑にゼロは言葉を失った。
「――私にそんな資格はないな」
半端ものだよ、と自嘲する藤堂はゼロに軽い仕草で挨拶すると一行のもとへ戻った。言祝ぐ彼らに付き合っている。ゼロは仮面の奥でルルーシュとなり微苦笑を浮かべた。
「まったく、最難関だな。陥落するには時間がかかりそうだ」
ゼロはマントを翻して互いを言祝ぐ一行のもとへ帰った。

あなたが、大事なのです
ただ、それだけ


《了》

誤字脱字さえなければもうそれだけでかまわない…!(けっこうギリギリ)
最後に絶対ルル様を絡めたくて超ムリヤリ☆(自覚ありかよ)
朝比奈の下の名前ってコレであってたっけ?(お前…)
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