後で頭を抱えるって判ってるのに


   ダメな大人


 茫洋とした喧騒が次第に固まりを作り出す頃合いをはかっている。黒の騎士団と銘を打つだけに人数が多く、内情としては一枚岩とは言いがたい。酒が入ればなおのこと顔見知り同士で集まりだす。日本解放戦線という卜部の所属はこの団体に参入して新しい。卜部の顔見知りは上官の藤堂を筆頭に集まりだしている。頃合いだな。卜部は気のおけない足取りで集められている酒類から一本洋酒を抜き取った。日本酒のほうが好みなのだが手っ取り早く酔っ払いときは洋酒のほうが手軽だ。ついでに炭酸水のボトルも一本失敬する。空のグラスと二本のボトルを携えて卜部はそっと喧騒から離れていく。卜部は丈があるから手足も大きい。痩せているから膨張しているわけではないのに指が長い。ボトルも飲み口へ引っ掛けるように掴めば二本くらいはなんでもない。人気と同時に通りすがりもないような場所を選ぶ。知り合いからは猫だ猫だと揶揄される性質だが直す気もないから直らない。
 人嫌いではないのに不意に静けさが恋しくなる。騒いで飲むのも嫌いじゃない。藤堂や四聖剣の別称をいただく面子とは潰れるまで飲むこともしばしばだ。理由は判らないが卜部はこういう逸脱を直せない。藤堂に相談したら直さなくても好いと思うという返事をもらってからはなお直らない。ボトルの栓を抜こうとして手ぶらに気づいた。炭酸水のほうはひねれば開くが酒のほうがダメだ。隠しを探って折りたたみナイフを取り出す。ボトルを傾ける。先の方へ人がいないのを確認してから形をなぞるように水平にナイフを走らせる。途中で力加減を変えて抉る。硬質な音を立ててボトルの先端が切り跳んだ。うまい具合に詰まっていた栓を一掃できた。鋭利な切り口に気をつけながら炭酸水で割った酒を飲む。
「ずいぶん野性的ですねぇ」
体を電撃のように走り抜けた驚きは一瞬で静まった。ことさら装飾を強調する物言いなのは彼が本来日本を基盤にしていないからだ。ディートハルト。くすんだ金髪は錆と一緒に艶まで落としたと思うほどで、それを一つに結っている。怠慢ではなく意識的な長さだ。掲げてみせる酒の度数は卜部が失敬したものよりきついものだ。炭酸割りとは用心深い人だ。
 「となり、よろしいですか」
慇懃無礼というやつだ。卜部が肩をすくめるとディートハルトはそれではと腰を下ろす。あんたは地べたに座るの大丈夫なんだな。こぼれた言葉にディートハルトは猪口のように小振りなグラスを傾ける。酒精のきつい酒は少しずつ飲む。報道の現場は案外過酷ですからね。習慣が入り混じる。ブリタニア本国は椅子や靴など欧州に近い。畳へ座ることに慣れた日本人は地べたにも平気で座るが、外履きで部屋を行き来するブリタニア人は床へ座るのも嫌った。そうですね、エリア11はなかなか面白い。朝比奈であれば平手が飛びそうな言葉の選び方にも卜部は何も言わない。卜部は呼称にはあまりこだわらない。問題なのはそれを口にした人間の気持ちを透いてみた時なのだ。蔑称を悪意なく口にされることも多い。普及率の問題だ。しばらく二人は黙ってそれぞれのグラスを干した。卜部ははじける炭酸の微音を聞きながら少しずつ酒の割合を増やしていく。
 一人になる前にも呑んでいるから酔いは十分なほど回っている。
「藤堂中佐は美しい人ですねぇ」
「手ェ出したらぶっ殺すからな」
卜部の言葉にディートハルトが肩を揺らして笑った。顔に赤みが指している。気づけばきつい酒がかなり減っている。そこまで息巻くなら、ほら。半分あいた卜部のグラスへディートハルトが自分の酒を注いだ。飲めますか? 乾杯、と酒を満たしたクラスを掲げられて卜部は勢いで呷った。気の抜けた炭酸が薄めているとは思えない強い酒だ。一口でクラリとする。
「あなたはあまりしゃべりませんがなかなか好い声をしてますよね」
言葉が滑らかだ。互いにこの酔っぱらいがと思っている。
「声、なぁ」
卜部は要領を得ないままでもう一度グラスを傾ける。卜部は親からもらったこの体で他人に勝ったと思ったのは丈だけだ。目方も戦闘力も藤堂にはかなわないし、痩躯であるから頻繁に燃料切れや不具合を起こした。軍属になる前は目を覆いたくなるくらいだ。卜部の茶水晶が流れるようにディートハルトを見た。人の声を褒めるこの男の声も好いのだろうと思う。通る声だし過剰な装飾を気づかせないだけの華美がある。日本語の習熟度は本人の努力の末だろうが声と言葉が馴染むのは案外時間がかかるものだろう。
「そう、声です。あなたの声には余分な力みや気負いがなく耳へ馴染む。藤堂中佐とは違う艶がある。すばらしい。機械を通しても損なわれないだろう艶ですよ」
刺もないので受け入れやすい。女性の声の高さは時に刺になる。厄介なものです。俺は男だし。滔々と謳うディートハルトを眺めているうちにグラスが空になった。
「そっちの酒をよこせよ」
「その声には抗えませんねぇ」
くすくす笑われながらも差し出された瓶を受け取るとグラスへ注いだ。炭酸水の残りを全部つぎ込んだ。それでも飲み干すのは無理そうだ。舌先や口の中で転がすのを見てディートハルトはますます楽しそうにする。猫ですねぇ。あぁ? いえいえ、なんでも。断ち切るようにひらひら振られる手が微妙に口元を隠しているのが悪質だ。
 納得の行かない卜部が言い募ろうとしたのを頓狂な声がかき消した。
「オッ、ご両人!」
意味判って言ってんのか。喉まで出かかった悪態を卜部が呑んだ。玉城だ。しかも一目瞭然に酔っ払いだ。こちらへ来ようとする足元さえおぼつかない。
「お前らぁいなくなるからぁ、どこ、いったかってぇ」
お探しでしたか。ディートハルトは平然と対応する。玉城は大仰に、ウン、まぁなどという。栗色の短髪を短く刈って立てている。黒の騎士団の前身になる団体の頃からのメンバーだ。そのときは揃いの制服などなく、自発的に揃えたのが髪飾りやヘアバンドだ。玉城は黒の騎士団としての制服と同時にヘアバンドも着用する。
 鼻先を甘い香りがくすぐる。くんと鼻を鳴らすと玉城が携えている瓶だ。日本酒だ。酒瓶提げてんのか。性質が悪い酔っぱらいだな。
「んだよぉ、みみっちいこといってんじゃねー」
しかも絡む。穏便に追い返そうとする卜部の敵意に玉城は酔っ払い独特の過敏さでへそを曲げた。応じたディートハルトはニヤニヤ笑ってみているだけだ。引っ張りこんでおいて見物を決め込むらしい。
「べろっべろの酔っぱらいは寝てろ」
「うるせーばーか! どーん!」
どーん、の掛け声と同時に立ち上がろうとした卜部の頭上からドボドボ降り注いだ。酒だ。玉城が持っていた酒瓶を卜部の上でひっくり返した。卜部の蒼い黒髪が濡れて重たく群青に垂れる。
「玉城! てめぇな」
濡れた前髪をかきあげて怒鳴りつけるのを玉城はケラケラ笑う。酒も滴るいい男だぜ! ネジが飛んでいるとか思えない。脱力して座り込む卜部の元へ玉城が屈む。犬のように鼻先を寄せてくる。乱暴に押しのけるとさらに執拗だ。卜部の肩まで掴んで襟元へ鼻先を埋めようとする。
「なンだよ」
「え…だってすげーいいにおいすっから」
「酒だよ馬鹿野郎」
押しのけてから手首を鼻先へ近づける。強すぎる酒と回った酔いでよく判らない。
「おや本当にいい香りですねぇ」
不意に響いた低音に卜部がびくんと跳ね上がる。重たく沈む声は楽しげでしかも位置が近い。絡みついたディートハルトが卜部を羽交い締めにする。蔦のように強かで柔軟なそれが解けない。戦闘要員の卜部のほうが力は勝ると思うのに染み込んだ酒精に力が弛む。耳朶を食まれて力が抜ける。
 「だからあなたは猫だという」
ねっとりして柔い感触が耳裏をなぞりあげる。吐き出される酒臭い呼気に舐められていると気づいた。
「――ッあ! ちょ…な、に…」
「さぁここですよ。服ごとしゃぶってしまえばいい」
浴びせられた酒は上着を通り越してインナーにまで沁みている。仔犬のように首を傾げていた玉城の目はうつろだ。過剰な酒精に判断力をなくしている。ディートハルトが示す場所へ玉城が噛み付く。
「ひ、ぎ…ッ」
容赦なく歯を立てられて涙がにじむ。玉城は具合をはかるようにはむはむと口元を蠢かせたが、すぐに食むのをやめて吸い上げる。同時に舌先が吸いやすいように動かされる。
「…ん、む…」
熱心な玉城を押しのけようと卜部も必死だ。しかも玉城は胸の先端を吸っている。びりびりと腰へ奔る刺激ともどかしさにかきむしりたくなる。
「ふぁっ、や…め、ろ…ッや…」
「わざわざ探しに来ていただいたのですから少しは歓待しませんと」
ねぇ、と言われて玉城はほにゃりと笑う。酒が匂う。玉城は無遠慮にのしかかろうとする。お酒ですか? ディートハルトは心得たように瓶を揺らすと魅せつけるように片手で器用に呷る。卜部の思考まで麻痺する。強い酒の香りに芯がぼやける。玉城が卜部越しにディートハルトの唇を吸った。卜部の耳元で二人の舌が絡む。口移しに流し込まれる酒を玉城は子供のように熱心に呑んでいる。
「ばか、やろ…!」
大音量の艶事に卜部の体がゾクゾクと震える。常ならぬ事態に卜部の反応が鈍る。玉城の手が卜部の頤を抑えて唇を重ねるのも防げない。がぢ、と歯列がぶつかる衝撃に怯んだ卜部から力が抜ける。そこへ玉城が口の中のものをどっと流し込んだ。喉奥まで流し込まれたのは酒だ。灼けつく熱さに卜部は激しく咳き込んだ。炭酸水などで割っていない生の酒だ。きつい酒精が卜部の思考と喉を直撃した。
 玉城が相変わらずとろけた表情のままで濡れた口元を拭いもしない。飲みたいのかと思ったのにちげぇの? くっくっと卜部の背後でディートハルトが失笑する。玉城は無邪気に卜部の膝を割る。オレも背ぇ高くなりたかったなー。それはそれは。相槌が楽しげだ。ずるる、と卜部の体の重心がずれた。背後のディートハルトへ任せるように力が抜ける。
「猫が懐きましたね」
長い指が卜部の釦を外していく。ディートハルトも長身だから手や指が大振りで長い。ほら、ここですよ。笑いながらディートハルトの指は卜部の胸部を移ろった。その後をいちいち追った玉城が吸い付いたり噛み付いたりする。時折玉城は不意に唇を吸う。女のみたいだな。その度に卜部がうるさそうに玉城を押しやる。厚みがあって官能的ですからね。ふぅと熱い息が耳をくすぐり、濡れた舌が穴をうがつ。卜部の体が断続的に震えた。
 押しのけても押しのけても玉城は熱心に吸い付く。どけようとするほどしつこくなる。しかも卜部が震えるような場所ばかり狙ってくる。玉城の体はいつの間にか卜部の脚の間にある。じゃれつく子猫のような甘咬みに卜部も拒否を示すのを躊躇する。意識するのは自分だけで玉城はこの行動に意味など持っていないかもしれない。意識していると知られたくない気持ちが先行する。先に好きって言ったほうが負けな気がする。子供の理屈でくだらないと判っているのに捨てられない。瞬間にディートハルトの指が卜部の脇腹を掴んだ。
「あ゛う゛ぁッ」
割れた嬌声を上げて跳ねる。二人分の熱に挟まれて卜部の意識がとろけ出す。卜部越しに二人が睦むように触れ合うこともある。そして気の抜けた卜部を二人がかりでいじり回す。過剰な酒精が今になって四肢の重さと眠気になっていた。
「……ン、ね…む…」
卜部は降りてきた目蓋を押し上げられなかった。唇が重なる。むやみに空をかく指が頤をかすめる。硬い感触があった。ぱた、と卜部の手が落ちた。密に重たい空気が動くのを触感で感じる。閨には独特の空気が満ちる。それをまとうと思いながら卜部は投げやりに意識を手放した。目元と頬を赤らめたままで卜部の体からくたりと力が抜けていく。


 揺さぶられた。もう少し寝かせてほしい。くそ、硬いな。寝返りを打った拍子に手をバシンと打ち付けたのは寝台のマットレスではなく硬い床だ。敷布の感触がない。身じろぐと安堵したような気配がした。のそのそと起き上がる卜部の元へ屈んでいるのは藤堂だった。
「……え?」
上着の弛みや解かれたベルトもそのままだ。冷水でも浴びせてほしい。藤堂が時折視線を泳がせるのは濃密過ぎる酒の匂いのせいだ。うぇ、と喉を鳴らすほどには強い。頭が痛い。そして重い。早鐘とは言わないが頭のなかで鳴らされているかのように脈打った。息をするのも重い。このまま転がりたいくらいだ。藤堂が苦笑する。相当飲まされたな。お前が潰れるほど飲むのは珍しい。閨のせいで回りが早かったですとは口が裂けても言えなかった。
「だが卜部、節度は守れ」
藤堂の苦言にはぁと抜けた返事をする。男でも女でも脱ぎ出すのはどうかと思う。卜部のなりを泥酔の末だと思っている。間違ってはいないのだが。酒を浴びたか? においがすごい。…俺じゃねぇ。くそ、玉城の野郎が俺に酒をぶちまけたんですよ。意外にあっさり藤堂がそれを信じた。あぁなるほど。周りを見回しても転がっているのは卜部だけだった。酒瓶やグラスまできっちり卜部の分だけ残っている。
 「…ディートハルトと、玉城、と。呑んでたんですけど奴らどうしました」
「玉城は便所だ。扇がついている」
扇もメンバーの中では古株で、玉城とも旧知の仲だ。人の好さだけで出来たような扇は玉城の後始末をいつもしている。あれはあれでクセモノなのだが。扇は人が良いから悪意なく関係を成立させるし控えめな性質は受動的だ。玉城のほうがよほど要領が良いのだと思う。
「ディートハルトとも呑んだのか。…彼は全く潰れてなかったぞ」
藤堂が不思議そうに視線を投げる先は通路へ繋がる扉だ。ディートハルトは自分一人で出て行ったということなのだろう。くそ、あいつの酒俺のより強かったのに。醜態でも晒せと八つ当たり的に罵倒する。あぁ便所行きたいかも。のそ、と動いた卜部が硬直した。藤堂は全く感知せずに卜部が立ち上がるのを待っている。灰蒼の双眸は子供のように無垢にどうしたと訊いている。卜部は耳まで真っ赤になって藤堂の腕を掴んだ。

「すんません……立てないんで、肩貸して…」

グラグラ揺れる視界は泥酔のせいばかりではなかった。藤堂は肩を貸してくれた。笑いをこらえて震える口元に卜部は羞恥で死にそうだった。


《了》

素面で酒の話書くのツラかったwww                2014年3月16日UP

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