だって欲しかったんだ
胎内の空隙
前髪が降りるとついかき上げてしまう。普段から額を顕にしているから前髪は正直鬱陶しい。濡れ髪を拭いながら着古されたシャツをかぶると膝丈のパンツを履く。先に風呂を使った藤堂にも同じようなものを着替えとして提供した。物持ちが質も量も豊富な藤堂とは違うのだ。かろうじて新品があったからとりあえずそれにした。箪笥の中身をひっくり返すはめになった。私邸では和服が多い藤堂であるから珍しそうに眺めていたのがなかなかに針のむしろであった。独り身の卜部の着替えなどその程度でいっそ本人に用意して欲しいくらいだ。寝間着などという上等なものは持ち合わせていない。
風呂場から出ればすぐに居間だ。廊下などお愛想程度で台所へもすぐ通じるしそのままベランダだ。藤堂が居間にいない。水場の明かりを消すと部屋がもう昏い。カーテンが開け放してあって硝子戸の外に藤堂が居る。
「何やってンだ、あんた」
ベランダと言っても名前負けするそこはただの打ちっぱなしである。卜部はなんとか工作して簀の子を敷き詰めた。雨ざらしではあるが履物を置かないためだ。強風の際に飛んでいっても困る。柵を兼ねた目隠しへ寄りかかって藤堂が外を眺めている。単身者ばかりを集めるのを想定しているから公園や緑陰は少なく、鼻先へ隣家がないだけマシだ。ある程度の情報の隠匿と淡白な近所づきあいが売りである。
藤堂の家は代を変えて住むのを地で行く私邸である。二階こそないが植木のある庭があり裏には井戸まであるから卜部のそれとは比べるべくもない。箪笥や戸棚の中身まで違う。冷蔵庫の中まで違うのではないかと思うから格が違う。濡れたタオルが干されていてばたばたとはためいた。タオルがねぇと思ったら。洗濯まで間があるなら黴が生えても困るだろうと思った。そんなに細かくねぇですよ、俺。私が気になっただけだ。濡れ髪のまま現れた卜部に藤堂がくすりと笑う。たしかに細かくはないか。
隣へ立つと藤堂のうなじが見え隠れする。卜部のほうが丈はある。目方や厚みは藤堂のほうがある。藤堂のほうが確りと体が作られているのだ。卜部は縦に伸びるばかりで目方はめっきり増えない。幼くて華奢な朝比奈と破壊力がどっこいどっこいだと思われるから深刻だ。そのせいか卜部は売られた喧嘩はもれなく買うことにしている。それを上司である藤堂に叱りつけられることも度々ある。目の前の夜は昏いばかりで変化はない。そもそも卜部には見慣れた景色であって気を逸らせるようなものもない。気がつくと隣の藤堂が卜部を見ていた。鳶色の髪は濡れて重たく渋皮色になる。更に夜半であることも手伝って黒髪のように見えた。卜部と同じように額を顕にしている。髪型を整えるというより単純に前髪が鬱陶しいようで落ちてくる房を払っている。
「なンすか。中佐」
軍属階級は二人の立場を明確にする。四聖剣と別称を戴いてもなお卜部は藤堂の下階級でしかない。戦闘戦力として頼られようが吹けば飛ぶだけの重みしかない。
「唇が」
思わずべろりと舐めてしまってからなんだと訊いた。藤堂は真顔でキスしたいと思っただけだといった。…酒でも飲みます? 藤堂は口元だけで笑む。酔った所為にするか。うぐぅと喉を鳴らすのをますます楽しげに眺めている。暗に閨をほのめかす。この手合が苦手な藤堂にしては気が利くが今利いてもらうのも若干困る。たじろぐ卜部に藤堂は煌めく灰蒼の双眸を向けてくる。
「さっきしたじゃねぇですか…」
食事も早々に着くなり押し倒された。惣菜が冷えきるくらいの時間は要した。藤堂はあっさりまたしたくなったと悪びれもしない。
「湯上がりは蠱惑的だ」
ベランダへ閉めだしてやりたくなった。
藤堂の指は気後れもなく卜部の濡れ髪へ触れる。梳くように撫でているかと思えば房を引っ張る。痛くないのか? 判っててしてんのかよ。泣くところが見たい。悪趣味。藤堂の手を払うと卜部は肩へかけていたタオルを洗濯ロープへ引っ掛けた。藤堂が心得たように洗濯バサミまで差し出してくる。なんで知ってんの。タオルを干すときに探した。使ったらいけなかったか。いけなくないけど。
部屋へ戻るために背中を向けたのがいけなかった。膕を蹴り飛ばされて脚が折れる。倒れこむ上に体を乗せてくる。伏せる卜部の上に藤堂が覆いかぶさる。耳朶を食まれて藤堂の息が濡れているのを知った。シャツやパンツの上から触れてくる。衣服は全て取り替えたし体も洗浄したばかりだ。待てって。焦る卜部に藤堂の声が愉しげに揺れる。待たない。卜部の抜き身はあっという間に掌握されて藤堂の手の内で踊りだす。熱いな。顔が燃えると思った。耳や首まで紅くなる。馬鹿野郎、戸が開いてる。藤堂は目線も向けずに硝子戸を閉めた。あんたこないだぁ俺が襖足で開けたら怒ったじゃねぇかよ。褒められたことではない。今、同じことしたろうが。
がぷ、とうなじに噛み付かれた。しかも痛い。その痛みにへこむ場所を藤堂の舌が舐る。匂い立つな。藤堂は卜部の髪や首へしきりに鼻先を埋めようとする。もがく卜部が場所を移動することしか出来ない。しかも移動できたというよりたんにずれただけだ。風呂あがりの軽装が恨まれる。布地の一枚や二枚はほとんど障害にならなかった。ぶるっと身震いするのを藤堂は愉しげに見ている。重みが不意に消えて卜部が這い出そうとした瞬間、ずるんと下肢が剥かれた。しかも藤堂の息遣いを感じるのは信じられない場所だった。
「わぁ!」
頓狂な声を上げることにさえ藤堂は笑む。裏の門がねとりと柔らかい物になぶられる。息と声を殺して慄えるのを藤堂の吐息が笑う。まだ閉じきってない。入りそうだな。卜部は真っ赤になって耐えた。藤堂はたっぷりと唾液をまぶしてから体を起こす。どうする? 訊くくらいならしないでほしい。
何か言おうとした卜部の声が喉でわだかまった。あっという間に卜部の空隙は藤堂の刀身で充足する。シャツの上から胸をいじられる。緊張しているのか。入浴で弛んだ感覚はまだ戻らない。尖る先端が藤堂の指にもてあそばれる。頸骨を探っているようだ。
「噛み痕つけンな…」
「鬱血点であればいいか」
藤堂の手は布地をくぐり抜けて直に抜き身を握りこんだ。同時にぬるりと切り込む熱がある。卜部の呼吸に合わせる巧みさは不似合いな旨さだ。なぁあんた俺が初めてじゃねぇよな? どうかな。真っ当に返事があった。数をこなすばかりが上達ではないか。まともに聞いて損をした。熱は空気を孕んで胎内へ入って行く。拓かれるのを男としての有り様が嫌う。内側をさらす恥ずかしさもある。胸をいじりまわしていた藤堂の指はすでに離れて行方知れずだ。気づけば腰骨をなぞっていたり臍の下を撫でていたりする。そろそろか。藤堂の手の運びが変わる。胎内の拍動が変わって卜部は喘いだ。
寝返りを打とうとして不自然な軋みに目が覚めた。見慣れた畳の傷みだ。衣服をまとわせたままの交渉で四肢が不自然に攣っていた。のそのそ着衣を直していると玄関のほうで音がした。
「起きたか」
ビニール袋を提げている。慣れた仕草で脱ぐのは卜部の家のつっかけだ。どこか行って。言葉の途中で目の前に缶を差し出された。酒だ。
「ここへ来る途中で酒屋を見かけたから行ってみた。まだやっていてよかった」
「…あんた、あの後出かけたのかよ…」
あっさり頷かれて脱力した。せめて互いの着衣くらい直してから出かけて欲しかった。藤堂は身づくろいされているが、転がったままの卜部が空き巣にでも見つかったら卜部の名誉の保証がない。
「酒を飲むかとお前が訊くから飲みたいのだろうかと思って」
いいながら栓を開けるのは藤堂だ。怒ったらいいのか礼を言ったらいいのか判らない卜部に藤堂はじっと目線を向ける。その無垢さと熱心さは仔犬のそれだ。時間がたつほど黙りこむ卜部に耐えられないように身じろいではそわそわする。しまいにはすまないと詫びて萎れる。垂れる耳や尻尾が見えそうだ。
「濡髪のお前を見たら触りたくて抱きたくて仕方なくなった」
卜部がため息をついて崩れる。藤堂の明瞭さは時として始末しづらい。
悪いと思えばすぐに詫びるし言いたいことがあれば言う。意見とわがままを取り違えない。あまり言い訳もしない。
「…もォいいっす…」
「うっ卜部!」
藤堂が正座してなんとか卜部から許しを得ようと必死だ。問題点と解決案と自己認識を簡潔で的確にまとめて滔々と解く。だから、…悪かったと、思ってる…。しりすぼみな謝罪に卜部の口元が弛む。喉を鳴らして笑い出すと藤堂の目が瞬いた。
「じゃあキスして」
未通女みたいなキスだった。甘かった。
《了》