だって興味が、わいたんだよ?


   つまみ食い

 ありふれた赤い絨毯は上質で足裏がふっくり沈む。無粋な足音を消し建てつけの押しつけがましさを緩和した。夜とも昼ともつかない中途半端な時間帯にのこのこと廊下を歩くのは自分だけらしく、ギルフォードは嘆息した。彼の主であるコーネリアから、シュナイゼルのとこへ行ってこいと命を受けたのは先刻だ。理由を問いただしたり拒否したりする権限をギルフォードは持っていない。皇子であり皇位継承権の上位者であるシュナイゼルは、将来を見据えたかのように重要な任務もこなした。それらすべてを頂点に君臨する皇帝の満足のいくようにこなすのだから実力者であることは間違いない。
 だが実力者である以上、油断のならない人物でもある。言葉づかいは丁寧で物腰も穏やかだ。先に亡くなったクロヴィスの方がよほど君臨者らしい態度をしていた。容姿も悪くはなく、むしろ良い部類に入るだろう。緩く癖のついた金髪は淡く濁った色だが、彼の白い肌と同じようにくすみはない。冴え冴えとした青い瞳から感情を読み取るのは困難で、内側を見せることは滅多にない。ただ仮面のように凪いだ青が広がるだけだ。シュナイゼルは周りの要求を暗黙のうちに読み取り、満足のいく結果を出し続けている。非の打ちどころはなく、彼を責める要素は何一つとしてない。
 「おゃあ、考え事ですかぁ?」
間延びしたような上っ面をすべる声にギルフォードははっと足を止めた。目の前には中華的な作りに似た白衣を身につけた男が壁にもたれていた。薄く紫に色付いた髪は毛先が緩く巻いている。おかしくもないのに笑んだような口元をして眼鏡の奥の目は面白そうにギルフォードを見つめていた。ロイドはその痩身を起こすとギルフォードの進路をふさぐ位置に立った。奥内作業や実験が主な仕事の彼はそれを裏切らない白い肌をしている。透きとおりそうな指先がツンツンと眉間をつついた。
「こ・こ。眉が寄ってますよぉ、あとがついたらどうするんですかぁ?」
その言動がギルフォードの眉間のしわをさらに深める。それを知っていながらロイドはそういう態度をとるのだ。良好な関係を保ちたいと思っていないのか、言葉づかいは荒さこそないもののぞんざいだ。気遣いのない敬語は慇懃無礼でしかない。
 ギルフォードは黙ってロイドが退くのを待った。無駄は諍いは好まないし、起こして喜ぶ性質でもない。身分も所属も違う目の前の男と付き合いが長引くとは思えず、後々のことを考えれば不意に道端で出くわした猫のように何事もなくすれ違うのが理想だ。お互いのことは無視してすれ違うのは一番穏便で手っ取り早い。
「呼ばれてるんでしょ? 物好きだよねぇ、あの人もさ。他人のものだからかなぁ?」
ギルフォードの思惑を裏切ってロイドは会話を長引かせる腹積もりらしかった。だが同時にその台詞はギルフォードがシュナイゼルの部屋を訪う目的を知っているからこそでもある。
「…何か、言いたいことでも?」
ギルフォードは慎重に言葉を選んだ。
 ロイドとシュナイゼルが懇意にしているのは周りに知れているし浅からぬ関係だったことも聞いている。そのシュナイゼルが妹君の騎士とはいえ男を夜毎呼びつけるのだから、何か思うところでもあるのだろうかと勘繰りたくもなる。身分と性別を理由に拒んだギルフォードにシュナイゼルは飄然と「美しいものを愛でるのは好きなんだ」と言い放ったものだ。同時に、権力者の無茶を拒むだけの勇気あるものを屈服させる愉しみがたまらないと性質の悪い笑みを浮かべていた。ロイドだって派閥に固執するでもなく飄然と現場を駆け回ることで有名だ。シュナイゼルにとってロイドとギルフォードは噛みつく恐れのある仔犬程度の認識しかないだろう。少なくともギルフォードはそう認識している。
「んー、言いたいこっとていうかね。君がさぁ」
小首をかしげると白いうなじがあらわになる。血管の透けそうなその薄皮一枚の危うさ。
「…違うね。君に、興味があるんだ」
「私に? ですが私を呼びつけるのは」
「違うよぉ、そっちは別にどうだっていいさ。僕が気になるのは、君自身」
 かみ合わない会話にギルフォードの方が小首を傾げた。眼鏡の奥の薄氷色の瞳は不思議そうにロイドを映す。怜悧な要望が砕けて行儀のいい育ちがあらわになる。ロイドはそれを見て目を輝かせた。
「そう、それぇ! その顔。なんで呼び出しに応じるんだい、君は」
夜伽の呼び出しに応じることを指されてギルフォードは逃げ出したくなった。シュナイゼルの真意など探る術も身分もないし不可能だ。階級と命令は絶対であり、そこに質問や拒絶は許されない。ましてシュナイゼルのように皇族ともなれば呼ばれるだけでもありがたいと思わなければならない風潮があった。現にギルフォードが忠誠を誓ったコーネリアも継承権が上位である兄君の頼みを聞き入れて、ギルフォードを向かわせているのだ。
 「…わ、たしは…!」
本意ではない。そう言い切れないのはシュナイゼルの技術力の所為だけではないだろう。数を重ねるごとにギルフォードの体は状況に適応していった。それを忌む彼とは逆にシュナイゼルはそれをひどく喜んで暇を見つけては不自然さのないよう装って呼びつけてくる。
 ロイドはギルフォードの思考など無視したかのように顔を覗き込んだ。子供のようなそれは、彼が戦闘機を子供のように無心に作っているという事実を思い出させた。
「慈善? 義務? それとも恋愛とか? どれにしても興味あるよぅ」
穏やかなフレームの奥の瞳は研ぎ澄ましたようにギルフォードを見た。ギルフォードはロイドの性質を見抜けず会話に付き合った失態を呪った。ひょろりとした体躯だ、腕力にものを言わせて通り過ぎてしまえばよかったのだ。
「何でもご存知なのでしょう。見当くらいはついているのでは?」
生真面目なギルフォードは精一杯皮肉ると、ロイドが弾かれたように細身な体躯を折って爆笑した。
 二人の立ち話は思いのほか時間を要したのか窓硝子の外は宵に染まっている。昼と夜の狭間が見せる紫の空は美しい。紫は次第に濃さを増して紺青へ色を変え夜の黒さを得る。
「興味はあるし予想もついてるけどさぁ」
くふん、とロイドは意味ありげに口の端をつり上げた。飄々とした動作をし、またそれが似合う雰囲気だ。長い指先をちっちっち、と振る。腰にあてた手は意外に大きく腕だけがひょろりと長い。
「だからこそ、ね。僕だって味わってみたかったんだよォ」
何を、と問い返す間はなかった。
 目の前を色素の薄い皮膚と天藍の瞳が占める。触れてくる柔い感触が唇なのだと理解するのに時間がかかった。互いの眼鏡が触れ合って硬質な音と冷たさを感じさせる。ずれた視界がぼやけ、身動きが取れないギルフォードを嘲笑うかのようにロイドの指先は好き勝手を働いた。詰めた襟を緩めて首筋を撫でてから、鎖骨が見えるほどに留め具を解いて肌蹴させる。ひやりと冷たい指先はロイドの見かけどおりだとギルフォードは他人事のように思った。冷たい指先は鎖骨を撫でてから襟の合間へ滑り込んでくる。同時に脚の間へ手が滑りこんでギルフォードは驚いたように体をすくませた。衣服の上からだというのに直接皮膚を撫でられているかのような動きは彼を動揺させた。その間にも唇は溶け合ったように離れず異質に熱い舌先が歯列をなぞった。
 「ん…っふ…!」
閉塞感に歯列を開けば幸いとばかりに舌先が潜り込んできて、逃げを打つ舌を捕らえた。熱く濡れたそれらの絡み合う感触はギルフォードを狼狽させた。戸惑いうろたえるギルフォードをよそにロイドの指先は乱暴を働いていたが不意に結い紐へ伸びた。解けばぱらりと黒髪が広がる。あらわな額を撫でてから肩甲骨あたりまで伸びた黒髪をロイドの指先は優しく梳いた。愛撫するようなその動きにギルフォードはたまらずロイドをはねつけた。
 「は…ッぁ…」
キス一つでこうも息が上がっている。上下する肩を恨めしく思いながら、目の前で飄然としているロイドを睨んだ。ロイドはにやにやと性質の良くない笑みを浮かべている。わざとらしくぺろりと唇を舌先で舐めてから唸って見せる。
「うぅーん、いまいちわかんないなぁー、あぁ、僕と寝てみる気、ありませんかぁ?」
とんでもない申し出にギルフォードは目を白黒させた。シュナイゼルだけでも充分厄介だというのにこれ以上の厄介事は御免こうむりたかった。そもそも体を重ねることに心情の交錯を求めてしまう性質のギルフォードに、シュナイゼルはその概念がどんなにはかなく脆いかを叩き込んだ。それだけでも衝撃だというのに、さらに似たような衝撃を受けることだけは避けたかった。砕かれた欠片はまだ拾いきれていない。
 「だめぇ?」
ロイドが前進した分だけギルフォードが後退した。ギルフォードはそれをきつく睨むと儀礼的に一礼して足早に駆け去った。解けた黒髪が肩の上でさらさら揺れるのをロイドは羨むように見つめた。指先にギルフォードの結い紐が絡まっている。乱された襟を駆け去りながら直しているのが後ろ姿から窺える。明らかな痕跡は残さなかったが差異には、シュナイゼルは気付くだろう。彼はそういう性質だ。細部や雰囲気、全体を見通す能力を持っている。
「ざーんねーんー」
長い手足を大仰に振ってロイドは踵を返した。
 けれど思いがけない収穫だった。キスを受け付けたということはその先も視野に入れていいという了承だろう。ロイドは気楽にそう合点して口の端を緩めた。平素でも吊り上っている口の端はまるで笑っているようだと言われたことを思い出す。それ以上の笑みを浮かべてロイドはギルフォードが立ち去った方向とは逆へ足を向けた。
「しばらくは退屈しなくてすみそうだねぇー」
温んだ唇の感触は心地よく。シュナイゼルはきっとこれに、嵌まったのだ。ロイドはにやにやと笑んでギルフォードが消えた廊下の奥を見つめた。


《了》

ロイドもシュナ兄様も玩具取り合う心意気でギルフォード取り合ったら楽しいと思います(苦笑)
そんでもって二人して遊んでいるところを誰かにかっさらわれたりするといいと思います(お前が鬼畜)
ギルフォードって弱そうに見えて意外と強いかも(笑)
誤字脱字ないといいなぁ、恥かしいから…(本気)          05/18/2008UP

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