事態は思いもしない場所から発露した


   05:赤褐色の呪縛

 藤堂は頃合いを見計らってはふもとの朝比奈の庵に足を向けた。ルルーシュとスザクは顔をしかめるが藤堂にとっての朝比奈の存在は大きい。なにも知らなかった藤堂の世界のすべてが不定期に訪う朝比奈で埋まっていた。朝比奈は藤堂を楽しませてくれたし、何より優しかった。体を無理矢理つなげることもしなかったし殴る蹴るといったこともしなかった。出来うる範囲で朝比奈は藤堂をかばってくれたし良い方向へ事態が向くように努力してくれていた。村の檻から解き放たれた藤堂にはそう言った朝比奈の態度はひどく稀有でありがたいものだということを知った。もちろんルルーシュもスザクも藤堂によくしてくれる。だから自分はきっと幸せなのだと思う。周りの人がみんな、藤堂に良かれと思って何かをしてくれる。ルルーシュは藤堂を抱いたがけして無理強いはしない。言葉では冷たく突き放しながらその裡で藤堂を案じていることも多い。

なにもなかったあそこよりもずっといい

藤堂は常々思う。藤堂の幼稚な仕草や態度をルルーシュは揶揄するが嫌悪はしない。スザクや朝比奈もそうだ。あの檻に囚われていた時藤堂に向けられたのは嫌悪だとか憎悪だとかいった薄暗くてどろどろした何かばかりだった。生まれついての虜囚にかける慈悲はないとばかりに無理矢理事に及ばれたこともある。藤堂はその行為を示す言葉や符号を知る前に体に叩きこまれた。殴られるのも蹴られるのも理由は判らず抵抗は赦されず疑問だけが残った。何故私は殴られるのだろう蹴られるのだろう。朝比奈は困ったように笑んで手当てをしてくれた。
 「…あさひ、な」
藤堂が灌木をかき分けて進もうとすると話し声がした。反射的に身をひるがえして木の陰に隠れる。年若い男性の声が数人分する。
「地神サマからの予言はないよ。頼んだもの持ってきてくれた?」
張りのある瑞々しい声は朝比奈のものだ。相手が苦笑まじりに何事かをする気配がある。
「ホントお前にはかなわないよなー、村を飛び出したかと思ったら預言者様だし。古い記録だったから廃棄されるとこだったんだぜ」
「ふゥン、まァありがたく頂戴するよ。何かあったら知らせるよ、それでいいんでしょ」
相手は何事か朝比奈と言葉をかわしてできたばかりの小道を村の方へ戻っていく。男に見覚えはない。そもそも倦厭されていた藤堂は村の一員として認められず顔見知り自体がいない。朝比奈はあくまで特別だ。男の気配がすっかり消えてからもなお藤堂はしばらくそこを動かなかった。男性の低音は藤堂に好ましいとは言えない記憶をよみがえらせた。
 藤堂の肩が震える。忌まわしい体の記憶は不意によみがえって藤堂の気をくじく。肩を抱くように腕をまわして膝を折る。どこまでも縮んでしまえばいいとばかりに長身の体を縮こまらせる。人間との接触が極端に少ない藤堂に免疫はない。
「…さむい」
藤堂は裸身に一枚布のような衣服をまとっただけの軽装だ。辺りは夜半ともなれば冷える。いつの間にか足元さえ紺青に染まる闇が満ちていた。その暗さは忘れかけていた檻の濃灰を思い出させて藤堂は逃れるように足を運んだ。飛び込むように庵の扉を開けば驚いたように朝比奈が目を瞬かせる。焚火の明かりのもとで何かの書面を見ていた朝比奈が驚いたように藤堂を上がらせた。書類を脇へ避けて藤堂を上がり框に座らせて汚れた足を拭う。甲斐甲斐しい朝比奈の態度は藤堂が贄に捧げられルルーシュのものとなっても変わらなかった。
 「藤堂さん、どうしたんですか? こんな時間に来るなんて珍しいですね」
「朝比奈、あの男は誰だ? 私は、怖く、て」
藤堂の目が揺らいだ。忌まれた灰蒼の瞳が水面のように潤む。
「大丈夫ですよ藤堂さん、もう来ないから。用事は済んでるし何かあればオレの方から出向くってことになっているからもう来ないよ。大丈夫。こわくないから」
朝比奈の細腕がぎゅうと藤堂を抱きしめる。藤堂は安堵したように上がり込んだ。朝比奈が慌てて食事の用意をする。
「…私の分はいらないが」
「藤堂さん食が細りましたね。それもあの神様の影響ですか?」
「ルルーシュ? 本当に腹が減らなくって。食べたいという気があまり起きない」
神の眷属となった藤堂の体質の変化を藤堂自身は重大に受けとめていないがその差は確実にあった。朝比奈と食事の頻度の差が開いた。藤堂の体は規則的に空腹を覚えていたのだがそれすら薄れている。
 藤堂はのそのそと這って脇へ避けられた書類を見た。小難しい字面が並び、言い回しもくどくて形式ばっている。なんとか嚥下しようとしている藤堂は書面を睨むように見つめた。藤堂の言語知識など高が知れている。贄として捧げられるためだけに生かされていた藤堂の教養や知識など村人が考えてくれるわけもなかった。難しい言い回しに頭を悩ませる。つづりも難しいものが多く藤堂にはほとんど判別できない。
「…朝比奈、これは、なんだ?」
とうとう匙を投げた藤堂が素直に朝比奈に問うた。朝比奈は藤堂の前に茶をおくといただきますと食事を始めた。箸をぱちぱち打ち合わせながらむぐむぐ応える。
「枢木のことですよ」
「くる…? ………スザク、くんか」
特徴的な音韻の名前に藤堂が記憶を総動員した。枢木という名前はスザク以外に聞いたことがない。
「そうそう、枢木スザク。どっかで聞いたなぁーって思ってちょっと昔の判例探してもらったんですよ」
「はんれい?」
「…まぁなんていうか、昔の村の裁きですよ。藤堂さんを贄に決定したみたいな村のジジイどもの集まりの記録ってとこですよ」
藤堂は不思議そうに小首を傾げた。書類を静かにおいて膝を揃えてちょこんと座る。
「えっと、それとスザクくんは関係、あるのか?」
「あったんですよ、調べたら。枢木スザクは父親殺しで放逐されるはずだったんです。その父親ってのがまた村の内部ではかなり重要な地位にいたらしいです。外交問題関連で殺害されたことは伏せられているんですけど犯行直後らしい時期に奴は身柄押さえられてる。その後しばらく軟禁状態だったのが出奔したらしい。自ら生贄になると置手紙残して。どうせ野垂れ死ぬだろうし共同体に高位で迎え入れられることはないだろうって御免になったらしい。まァちょうどよく枢木自体が死刑になりにいってくれたってとこでしょう」
藤堂の頭の中をガンガンと言葉がこだました。コロシタ。命を奪った。生命活動の強制停止。動かない藤堂をどう思ってか朝比奈はつらつらと書面を読んだ。
「枢木スザク、父親デアル枢木ゲンブ刺殺。投獄後出奔。行方知レズ。…まさか、地神サマの騎士に収まってるとはね」
「ころ、した」
殴る蹴るの暴行の際に何度もその言葉を聞いた。めんどくせェなァ、死ぬかお前? マジで殺そうか。冷たく投げつけられる言葉の重みに藤堂は身震いした。事実藤堂は刃物を持ち出されて傷を負ったこともある。その、さらなる発展形。
「藤堂さん。でもね、おかしいでしょう。これ、今から何百年も前の記録なんですよ。紙だってボロボロで何度も補修や書写が行われてる。でも枢木スザクはどう見たって十代でしょう。年齢のそろばんが合わないんですよ」
「…スザクくんの年齢が、あわない?」
「そうですよ、その辺に藤堂さんがごはん食べなくなってる理由もあるんじゃないですか? だいたいあの地神サマは胡散臭いし。枢木スザクだって腹で何考えてるかなんて判りませんよ。地神サマと組んでなんかする気かも」
「…スザクくんはそんなものではないと思うが」
上手い言い回しを得られなかった藤堂がおずおずという。スザクはもっと実直だ。朝比奈への不快感を躊躇なく示したり、藤堂ににっこり笑いかけてくれたりする。剣の腕も立つ。藤堂の腕ではまだ勝負は互角の域にとどまった。
「藤堂さんは世間知らずですから判断なんかあてになりませんて。おかしいでしょう、枢木スザク。あんな若いのにその年代で贄に捧げられたわけでもないのに。地神サマが関係しているんでしょうね」

「そうだよ。オレはルルーシュの力で不老不死を得た」

響いた声に藤堂と朝比奈が目を向ける。焚火がぱちぱちと爆ぜる。橙に染まった碧色の瞳が暗く淀む。
「藤堂さんの帰りが遅いから迎えに来たんだけど。まさかこんなこと、調べているとはね」
「スザク、くん」
スザクが手を差し伸べる。それはどこまでも甘く優しい。偽りであることを示すかのように。それでも藤堂はその手を取る。スザクの言葉はルルーシュの言葉だ。捧げられた藤堂が逆らうことなど赦されない。
「悪いけどこの一件はルルーシュに報告させてもらうよ。預言者たりえる君はルルーシュの管轄内だ」
藤堂を誘ってスザクが庵から連れ出す。スザクの手が藤堂の手を取って連れ出す。庵の明かりが遠くなるに従ってスザクの手が緊張していくのを藤堂は感じた。
 「スザク、くん」
「鏡志朗」
スザクの碧色が不意に藤堂を射抜いた。びくりと体をすくませる。
「オレになにか言いたいことは?」
「いいたい、こと? 私は…、…君は、チチオヤを、殺したと朝比奈が言って、いた」
スザクは淡く笑んでむやみに早足だった歩みを止めた。ザァアと夜気が流れて梢を震わせる。枝葉の触れ合うそれはそうとは知らずに奥底まで侵入してくる。根底を揺さぶられるような気配のない夜半の木々の中においてもなお藤堂は自我を失わずにいた。
「そうです。オレは父さんを殺した。この手で。刺したナイフの感触も溢れてくる血も何もかもを覚えています。この手や体が返り血にまみれてオレはどうすることもできなかった。何故殺した何故何故何故。そればかりが問われてオレについての責任はなすりつけ合い。オレの居場所なんてなかった。あそこにいたらオレは息が詰まって死んでしまう、殺される前に死んでしまう。刑罰を待っている余裕なんてなかった。オレはもっと…――」
「…す、すまない。難しい言葉はよく判らなくて」
言い募るスザクを藤堂の無垢な言葉が止めた。スザクが笑んだ。その顔はどこか泣き出す直前の不安定に揺れた。藤堂が言葉にすることすら恐れていたことをスザクは口にした。
「オレはルルーシュに殺されるために村を出奔しました。でもルルーシュはオレを殺さなかった。騎士の座が空いている、だからどうせ死ぬならばゼロの騎士として殉死でもしろ、彼はそう言った」
藤堂が何とか理解しようと小首をかしげながら言葉を呑みこんでいる。
「そして彼は、ルルーシュは…オレに、不老不死という罰を与えた。オレは罰を望んでいたからそれを受け入れました」
「でもスザクくん、死んだら、君が死んだら」
藤堂の先の言葉を悟ったスザクは冷たく放つ。
「オレが死んで悲しむやつはいないんです。藤堂さん、否、鏡志朗。誰からも惜しまれずに死ぬ人間というのはいるんです。むしろその死を望まれることだって。あなただって、地神に捧げられるという名目のもとで生殺与奪を奪われたじゃないですか」
藤堂はぶたれたように震えて目を伏せた。長身の藤堂からみればスザクの位置は低いだろうがそれでも立場の優劣に変化はない。スザクの目はまっすぐ藤堂を見た。
「…――私は元々、そういうものだった。意識がある時からずっと、お前は神様の生贄になるんだ村のために死ぬんだと言われた。だから私はそういうものなんだ。でも、君は違う。スザク、くんは望まれて生まれてきたんだろう」
「鏡志朗。オレのそれはあなたよりずっとたちが悪いんです。はなっから言われていたわけではない、確かに。でもその分刹那的に強く強く求められた。死んでくれたらいいのにと、悪しざまに罵られた」
スザクは知らない。閉ざされたまま期間の長さも判らないままに囚われる重みを。生まれた刹那から死を望まれた冷たさを。利用価値を見出されたがためだけに生かされている怠惰を。だが藤堂もまた瞬間的に爆発的に強く死を望まれた経験はない。藤堂のそれは緩慢で長いものだった。
「…御免なさい。こんな話をするつもりじゃなかったんだけど。あなたには綺麗なままのオレを見て欲しかったんだけどな。…あなたは隠しごとを赦さないんだね」
「…そんな、つもりは」
藤堂は殊更にスザクの秘密を暴いたわけではない。むしろその責は軽口を利いた朝比奈が負うべきなのだとスザクも了承している。だが藤堂の態度は非を認めているも同然だ。
「スザク、くん、私は」
藤堂も言葉がない。感覚がある。だがそれを言い表すだけの語彙を藤堂は持ち合わせていなかった。もどかしさとやるせなさが募る。どうにかできるはずなのだという物足りなさとどうにもできない現実がせめぎ合う。スザクはするりと握っていた手を解いた。気付けばルルーシュの神殿の前にたどりついていた。
 「藤堂さん、ルルーシュがあなたを呼んでいる。早く来いって怒っていたよ。…――変な話につき合わせてすみませんでした」
「…朝比奈、はどうなる? 私は朝比奈を…その、死なせたく、ないんだが」
言葉を淀む藤堂にスザクが朗らかに笑った。その明るさは奇妙に軽く空回る。
「藤堂さんからルルーシュに頼めば大丈夫ですよ。あれで、ルルーシュはあなたに相当甘いんですから。自信持って」
「スザク、くん! 私は君にも死んでほしくなんてない! 君は死を望まれたかもしれない、けど」
言葉が続かなかった。藤堂の浅い知恵はそこで尽きる。いい言葉がない。スザクの心を引きとめるだけの強さを。
「藤堂さん、行って。ルルーシュを怒らせるのは避けた方がいいですよ」
藤堂は身をひるがえすようにして神殿の奥の間へ消えた。スザクが息を吐いて座り込む。

君の言葉は、あなたの言葉は
優しくてまっすぐで

だから、辛い


《続く》

わりと温めていたネタだったりする!(ウワァ)
スザクのツンツンと藤堂さんのどうしたらいいか感が(笑)
前後編とかしかも題名違うとか相当アレな感じ…(判っているなら止めろよ)
とりあえず誤字脱字がなければいいな! ウン、わりとソコ!(待て)
気づいたらロムのケースが壊れていた…(何故)            10/26/2009UP

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